映画スクエア
2024年10月19日より劇場公開される、2023年のカンヌ国際映画祭で上映された唯一のロシア映画「グレース」から、本編映像の一部が公開された。
公開された本編映像は、10代半ばの娘が父と立ち寄ったショッピングモールでのシーン。「カメラの部品を探す」と言って、娘が1人で向かったのは女性用品売り場。ポケットから取り出した現金で支払い、父にバレないよう袋ももらわずポケットに突っ込む。買ったばかりの下着や化粧品を持ち、ひとり更衣室の鏡でまじまじと自分の姿を見る。同年代の女性も母もいない、毎日が父と二人きりの生活のなか、思春期の不安と不満が募る姿が描き出されている。
「グレース」は、ロシア辺境を舞台にキャンピングカーで旅をしながら移動映画館で日銭を稼ぐ父と、思春期の不安を抱える娘の成長の物語。ロシア南西部の辺境、乾いた風が吹きつけるコーカサスの険しい山道。無愛想な目をした10代半ばの娘と寡黙な父親は、さびた赤いキャンピングカーで旅をしながら、移動映画館で日銭を稼いでいる。母親の不在が2人の関係に影を落とし、車内には重苦しい沈黙が漂っている。父親への反発、思春期の戸惑い、そして終わりの見えない旅路が描かれる。
監督・脚本を手掛けたのは、ロシアのドキュメンタリー出身の新鋭イリヤ・ポヴォロツキー。“ロシア映画”を締め出す世界的な動きの中、2023年のカンヌ国際映画祭の監督週間に選出され、その後もサン・セバスティアン国際映画祭など数多くの映画祭にノミネートされた。ポヴォロツキー自身は、カンヌ国際映画祭の会見でも言及しているように、ロシアによるウクライナ侵攻と政府の方針に対して明確に反対している。リベラルな表現者を自認する彼の関心は、ロシア周縁の人々の暮らしと尊厳を、映像の力によって美しく厳かに描き出すことにあるという。
一足先に本作を鑑賞した著名人によるコメントも公開された。コメントは以下の通り。
【コメント】
■甫木元空 (映画監督・ミュージシャン)
暴力、怒りの波紋が音楽となって赤い車に引きづられている。親子にとって旅は仕事であり、漂流することは日常である。杭を打つようにポラロイドカメラで今を記録する彼女の眼差し。誰もが少年少女の時感じていた引き伸ばされた時間に身を置く119分。
■中島セナ(モデル・俳優)
果てしない広野に感じるのは自由ではない。退屈と侘しさは喉を詰まらせ、次第に沈黙と化してゆく。私も、名前も知らない彼らと同じようにどこかに行きたいと願っていたのだろう。約2時間、鼻の奥を刺す寒さと、夜明けのにおいを憶えた。
■che bunbun (映画ライター)
『ミツバチのささやき』を観た時、流浪の映写技師の人生に触れたくなった。そしてコーカサスで出会った。しかしそこには、どこへでも行けそうでどこにも行けない者の肖像が茫と浮かび上がり、切なさが心を掠めたのであった。
■Knights of Odessa (東欧映画愛好家)
親子二人の暮らすバンは、周囲に広がる荒野や寂れた建物と同じ、二人だけの"廃墟"である。"廃墟"から逃れようともがく者も、そこに留まることを選ぶ者も登場し、二人は彼らを前に迷い続ける。映画はそんな二人の選択をそっと包み込む。
■野中モモ(翻訳者・ライター)
旅するふたりを迎えるのは、かつて見たことのない風景の数々と、さまざまな言語を話す人々。都市とは種類が違う、とはいえ同じ社会機構のもとにある憂鬱。それは人類文明のはかなさと、それでもそこで生活を営む命の両方を際立たせる。自分はロシアとその周辺のことをいかに知らないか痛感させられた。
■宮代大嗣(映画批評)
コーカサスの終わりのない風景を進む赤い車。今年も夏は来ない。海はあまりにも遠すぎる。父と娘にとって移動映画館は稼ぎの手段でしかない。少女は夢の跡の世界で最後のステップを踏む。この傑作には私たちが映画を見る理由がある!
■月永理絵(ライター・編集者)
この映画を見ながら、アニエス・ヴァルダの『冬の旅』を思い出した。粒子の粗い画面にはどこまでも続く荒れ果てた土地が映り、その土地土地を旅する若い女がいる。彼女はたいてい仏頂面で、くすんだ画面に、染みのようにじっとしがみついている。
【作品情報】
グレース
2024年10月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
配給:TWENTY FIRST CITY