映画スクエア
私が子供の頃にも、「ヒトラー生存説」のネタが、まことしやかに取り上げられたことを記憶している。自分が子どもだった1980年代は、「ヒトラー生存説」がタブロイド紙ネタとして成立していたことを体感できた、ギリギリの時代だろう。ヒトラーがもし生きていたら100歳くらいなのでギリギリだ。
ネタと書いたが、世界が東西陣営に分かれていた当時において、ヒトラーの遺体を西側諸国が確認できなかったことが、ヒトラー生存説に信憑性を与えていたのだろう。それが、戦争から15年しか経過していなかった1960年、アルゼンチンに潜伏していたアイヒマンがイスラエルのモサドによって拘束された1960年となればなおさらだ。『お隣さんはヒトラー?』は、そんな1960年の南米を舞台にした作品だ。
1960年。ホロコーストの生き残りであるポーランド系ユダヤ人の老人マレク・ポルスキー(デヴィッド・ヘイマン)は、片田舎の一軒家で一人暮らしをしている。隣家に、高齢のドイツ人男性が引っ越してくる。ヘルマン・ヘルツォーク(ウド・キア)という名のその男の目を見たポルスキーは、腰を抜かさんばかりに驚く。男の目は、かつて一度目にしたことがあった、アドルフ・ヒトラーの目と同じだった。
20世紀における最大の悲劇の1つであることは間違いない、ナチス・ドイツによるホロコーストを描いた作品は枚挙にいとまがない。『お隣さんはヒトラー?』はそんな膨大な作品群の中で、異色を放っている。その最大の理由は、コミカルでさわやかさすら感じさせる作品ながらも、ホロコーストの悲劇の延長戦を描いているという点だ。
ナチス・ドイツやホロコースト、アドルフ・ヒトラーに興味がない人には向かないかもしれない。だが、少しでも興味がある人ならば味わえる作品ではないだろうか。
以下では、映画の深い内容にも触れていくので、映画をご覧いただいた上で読まれることをオススメする。
!!以下は本編ご鑑賞後に読むことをオススメします!!
『お隣さんはヒトラー?』をジャンル分けするとしたら、コメディドラマになるだろうか。映画の冒頭は、1934年の東欧だ。若かりし頃のポルスキーが、妻や子供たち、両親とともに家族写真を撮影する。ここでタイマーをセットするが、なかなかシャッターが切られないというベタなギャグが展開される。ここで本作が、コメディ(少なくともコメディ色の盛り込まれた)作品であることが明示される。
ヘルツォークが引っ越してきてからは、”お隣さんトラブルコメディ”の色が強くなる。ヘルツォークの飼っている犬のヴォルフィが、塀の壊れた部分からポルスキーの敷地に入り込んでフンをする(文句を言いに行くが、ヘルツォークは「あんたのでは?」と取り合わない)という、これまたベタな展開を見せる。ヘルツォークの車にオシッコを引っ掛けようとするポルスキーだが、年齢のためにオシッコの出が悪くてうまくいかなかったりもする。
映画の色合いが変わるのは、ポルスキーがヘルツォークをアドルフ・ヒトラーと確信するシーンからだ。ここで映画の緊張感は一気に上がるものの、徐々にトーンダウンしていく。緊張感がトーンダウンしていくのは、ポルスキーがヘルツォークと交流を始めることによる。もちろんポルスキーはヘルツォークがアドルフ・ヒトラーだと思い込んでおり、証拠をつかもうとヘルツォークの行動を見張り、ヒットラーの特徴(タバコ嫌い、かんしゃく持ちなど)をチェックしていく。だが、自身の大好きなチェスに真剣なヘルツォークの姿に、ポルスキーのガードは少しずつ下がる。
決定的に緩むのは、ポルスキーがヘルツォークに肖像画を描いてもらうことで訪れる。画家を志していたヒットラーの画風とヘルツォークの画風に共通点を見いだそうしたポルスキーだったが、ヘルツォークの描いたポルスキーの表情はあまりにも穏やかで優しい。それは、ヘルツォークがヒットラーであることを忘れてしまうほどだ。チェスと絵画。ゲームとアートという戦争という殺し合いから遠く離れたものが、人と人の距離を近づける様子は感動的ですらある。
この絵がとにかくすばらしい。上手いとか下手とか問題ではなく、とにかく優しい絵なのだ。こんな優しい絵を描ける人物が、あのヒトラーではずがないと思わせるような絵。ポルスキーのガードはさらに下がる。だが、映画を見る者もポルスキーも、ヘルツォークの家から出てきた男が「ハイル・フューラー(総統万歳!)」と叫ぶ声を聞いて、目を覚まさせられる。そういえばヘルツォークは、ヒトラーなのかもしれないのだと。
結局ヘルツォークが何者なのかはあえて書かないが、ポルスキーとヘルツォークの間には、1つのつながりが生まれることになる。このつながりを表現するのは難しい。友情とも違うし、愛情とも違う。同じ時代を別の境遇で生きてきた者同士が、互いの境遇に思いを巡らせ、違う場所で違うタイミングで出会っていたらよき、友人になっていたかもしれないというつながりが生まれる。
このつながりの味わいは、ポルスキーとヘルツォークという2人の人物が出会ったからこそ生み出された唯一無二のものだ。「人間が描かれている」「人間が描かれていない」という批評で使われる決まり文句があるが、ここではポルスキーとヘルツォークという2人の人間の姿がしっかりと描かれている。
「悲劇を描かずに悲劇性を描き出している」と先に書いた。ポルスキーが収容所の生き残りで、家族が収容所で亡くなったことは、ほんの少ししか語られないが、見る者に確実に伝わるように描かれている。物の少ないポルスキーの棚に置かれた家族写真に、妻が育てていた黒いバラを大切にする姿に描かれている。ポルスキーがどうしてコロンビアに移住したのか、どうして人を寄せつけない生活をしているのかは明かされないが、ホロコーストがポルスキーの心に暗い影を投げかけていることは確実に描かれている。
そんな男が、期せずしてヒトラーに似た男と出会い、期せずして心を通わせていく。そしてヘルツォークもまた、心に闇を抱えながら生きていることが明らかになる。ヘルツォークの生き方を否定することは簡単だろう。だが、ナチス・ドイツによって人生を狂わされたという意味においては、ヘルツォークもまた犠牲者の面があるのも事実だ。
書いておきたいことがもう1点ある。それはポルスキーが発揮する暴力性だ。ヘルツォークがヒットラーであることを確かめようとする過程で、ポルスキーはヘルツォークの愛犬であるヴォルフィを殺し、ヘルツォークを脅して陰部を露出させる(ヒトラーは睾丸が1つしかなかったと言われているため)。ポルスキーの恨みの大きさとともに、暴力は連鎖することが描かれている。
『お隣さんはヒトラー?』は、イスラエル、ポーランド、コロンビアの合作だ。ナチスドイツの犠牲となったユダヤ人の国と、収容所のあったポーランドの作品とあって、ナチス・ドイツへの強い憎しみがもっと出る作品かと、見る前は勝手に思っていた。だがそうではなった。ホロコーストの悲劇、ナチス・ドイツがもたらした悲劇そのものは描かず、多くを語らず、それでいて家族を殺されたポロンスキーの悲しみはきっちりと描きながら、歴史に翻弄された男の人生も照射する。偶然から出会った2人の交流を、時にコミカルに、時にさわやかに描いて見せながら、悲劇性を浮き彫りにする。
ホロコーストの悲劇を伝えるにはいろいろな方法がある。恐怖で伝える方法もあるだろう。ドキュメンタリー的に伝える方法もあるだろう。その一方で、この映画のように伝える方法もあるのだ。
ちなみに、ポルスキーが大切にしている黒いバラの花言葉には、「永遠の愛」とともに、「憎悪」「恨み」というものもあるという。ポルスキーの家族への愛情と、家族を殺したナチス・ドイツへの深い怨念が込められているかのようだ。
冬崎隆司(ふゆさきたかし)
映画ライター、レビュアー、コラムニスト
1977年生まれ。理屈に囚われすぎず、感情に溺れすぎず。映画の多様な捉え方の1つを提示できればと思っています。
映画レビュアーの茶一郎さんとのポッドキャスト「映画世代断絶」も不定期更新中。
【作品情報】
お隣さんはヒトラー?
2024年7月26日(金)より、新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国公開
配給:STAR CHANNEL MOVIES
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