笑わない母 壊れていく教師 世間の怖さに人の怖さ 『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』

映画スクエア

冬崎隆司の映画底なし沼 第5回『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』レビュー

笑わない母 壊れていく教師 世間の怖さに人の怖さ 『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』
©2007 福田ますみ/新潮社 ©2025「でっちあげ」製作委員会
 

!!本編ご鑑賞後に読むことをオススメします!!

 『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』は、2003年に実際に起こった冤罪事件をもとにした作品である。主演は綾野剛、監督は三池崇史。原作は福田ますみのノンフィクションで、配給は東映。実力派のキャストに加え、大手スタジオが正面から重たい題材に挑んだことだけでも大きな価値のある作品だ。

 物語は、いじめを訴える母親・律子と、加害教師とされた薮下、それぞれの視点から裁判までの経緯を描いていく。「羅生門」を思わせる語りの構造で、どちらが本当のことを言っているのか、観客は迷いながら見ることになる。興味深いのは、どちらも相手を“悪魔”のように描いている点で、それを綾野剛と柴咲コウがそれぞれの主観に基づいて演じ分けている。このあたりの演出と演技の妙は見ごたえがある。

 中盤から風向きが変わる。物語は「真実」がどこにあるかを徐々に明かしていく。「何が本当か」を問うサスペンス的な面白さは薄れ、代わりに「どのように一人の人間が追い詰められていくか」のドラマとして進んでいく。ここからは、登場人物の配置もある意味でお決まりの形になる。頼れる弁護士、支える妻、週刊誌の記者、事なかれ主義の校長や教頭。分かりやすくはあるが、やや予定調和にも見える。

 だがこの作品は、ありきたりなドラマに終わっていない。その最大の理由は、柴咲コウ演じる律子というキャラクターの存在だ。彼女の不気味さ、得体の知れなさは抜群だ。笑わない、感情を表に出さない、そして何を考えているのかがまるで読めない。ウソをついているのか、本気でそう信じているのか、線引きがされないのが怖い。加えて、夫がどこまで妻の言動を信じているのか、あるいは妻と2人で相談の上なのかも分からない。500人以上の弁護団という規模の大きさも含めて、観ている側は混乱する。「分からなさ」がそのまま恐怖として残る。

 『それでもボクはやってない』が司法制度そのものの不条理を描いた“制度ホラー”だったとすれば、本作は律子という個人の底知れなさが主軸の“人物ホラー”と呼んでもよい。彼女は説明されない。だからこそ、観客の想像力を刺激し、観終わったあとも尾を引く存在になる。

 薮下が語る陳述には多くの思いが詰まっている。自分が「いじめをした」と認めてしまったことへの後悔。無責任に報道するメディアへの怒り。そして「子どもが嘘をついたとしても、それはそれで『悪いものは悪い』と教えるべきだった」という静かだが確固とした考え。こうした言葉が、単なる悲劇の再現にとどまらず、観客の中に問いを残す。

 また、本作が描いていることの1つはSNS以前のメディアの暴走であるが、その構造は現在のネット社会にも通じる。現代では、個人が個人を断罪するSNS社会になっており、誰もが“加害者”にも“被害者”にもなりうる。そうした現代性があるからこそ、この作品は単なる過去の事件をなぞっただけではない説得力を持っている。

 エンタメ作品としてきちんと消化されているのに、きっちりとした社会的な問いも残す。そのバランス感覚こそが、本作のいちばんの強みであり、最大の魅力だ。


笑わない母 壊れていく教師 世間の怖さに人の怖さ 『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』

冬崎隆司(ふゆさきたかし)
映画ライター、レビュアー、コラムニスト
1977年生まれ。理屈に囚われすぎず、感情に溺れすぎず。映画の多様な捉え方の1つを提示できればと思っています。
映画レビュアーの茶一郎さんとのポッドキャスト「映画世代断絶」も不定期更新中。


【作品情報】
でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男
2025年6月27日(金)全国公開
配給:東映
©2007 福田ますみ/新潮社 ©2025「でっちあげ」製作委員会

作品一覧