
日本統治時代の台湾に生まれ、戦後に起きた二二八事件の渦中で多くの市民を救った弁護士・湯徳章(トゥン・テッチョン)を追った、ドキュメンタリー映画「湯徳章-私は誰なのか-」が、2026年2月28日より劇場公開されることが決まった。
湯徳章は、1907年に日本人の父と台湾人の母のもとに生まれた人物。警察官として社会に身を置くが、その後日本に渡って司法を学び、弁護士資格を取得。台南に戻り、弁護士として人々のため尽力した。1947年に二二八事件が勃発すると、湯徳章は身をていして混乱の収拾に尽力。多くの市民を守ったが、軍に逮捕されて拷問を受け、町中を引き回されたうえで台南市の中心部にある民生緑園(現・湯徳章記念公園)で公開処刑された。40歳という若さだった。
2016年に日本で公開された「湾生回家」の黄銘正(ホァン・ミンチェン)監督が、共同監督の連楨惠(リェン・チェンフイ)とともに、5年の歳月をかけて制作した最新作。キービジュアルは、本国ビジュアルを踏襲しつつ、湯徳章が抱えた多層的なアイデンティティの揺らぎを、色彩を用いて象徴的に表現したデザインとなっている。
黄銘正監督、連楨惠監督のコメントも公開された。コメントは以下の通り。
【コメント】
■黄銘正(ホァン・ミンチェン)監督
私の少年時代、生活の中には語ってはならない禁忌がいくつかありました。その一つが、台湾がかつて経験した「日本時代」でした。
台湾の政治や歴史について、国家には台湾人に刷り込みたい独自の考え方があり、それを人々の頭に押し込もうとしていました。(日本社会にも、こうした言葉にしづらい禁忌は存在するのでしょうか?)
その空気は社会全体の一部となり、台湾の生活に溶け込み、外国人には気づきにくい、しかし台湾人なら誰もが感じ取れる微妙な雰囲気となっていました。
確かに存在するのに、はっきりとは言葉にできない違和感。まるで心の中央にぽっかり穴が空いているような、不思議な感覚でした。
それは一言でいえば、台湾人に長く影を落としてきた「アイデンティティの混乱」です。
『湾生回家』を撮影していた時、私はこの「アイデンティティの混乱」というテーマを、そっと作品の中に忍ばせました。
そして『湾生回家』の後に、私が出会ったのが「湯徳章」です。
彼は日本の植民地下に生まれたものの、台湾人の母の姓を名乗るしかなく、7歳の時には、日本人警察官だった父が台湾人に殺害されました。
こうして、湯徳章の国家的帰属意識はその姓と同じように生涯漂い続け、劇的で波乱に満ちた人生を歩むことになりました。
この作品は二二八事件を扱っているため、当初は多くの台湾人にとって敷居の高い映画でもありました。二二八事件は戦後台湾における最も痛ましい近代史であり、その影響は今も深く続いています。
しかし鑑賞後、多くの観客が「思っていたのとまったく違った」と力強く語ってくれました。これは一本の、生活感にあふれ、思わず笑いがこみあげ、そこから考えさせられ、最後には涙がこぼれるかもしれない、人の心を動かす作品です。
台湾と日本のあいだの不思議な絆や親しさに、興味や驚きを抱く方も多いでしょう。もしその理由を知りたければ、湯徳章の人生に隠されたさまざまな手がかりが、観客である「あなた」に見つけてもらえるのを待っています。
本作が日本の皆さまと出会う日を心から楽しみにしています。どうか、じっくりと味わっていただければ嬉しく思います。
■連楨惠(リェン・チェンフイ)監督
2019年、私たちは湯徳章を探し始めました。
そして振り返ってみれば、彼が抱えていたアイデンティティへの不安は、まさに現在の台湾社会が抱く集団的な迷いと重なっているようにも思えます。
もうすぐ日本で公開されるこの映画を、日本の皆さんがどのように受け止めてくださるのか、とても楽しみにしています。
ひと言でいえば、私はただこう伝えたいのです——「過去に起こった出来事が、今の私たちをつくっているのだ」と。
その思いを、やさしい気持ちで届けたいと思います。
湯徳章の人生にみられる台湾と日本のつながりは、私自身がなぜ日本に親しみを感じ、日本語を学びたいと思ったのかを考えるきっかけにもなりました。
彼を訪ねる旅を通して、私はこう確信するようになりました——台湾人は、自分の土地の歴史を理解してこそ、自分の立ち位置やアイデンティティをよりはっきりとつかむことができるのだ、と。
湯徳章の物語を通じて皆さまとこの旅を共にし、台湾についてより深く知っていただけることを願っています。
【作品情報】
湯徳章-私は誰なのか-
2026年2月28日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
配給:太秦
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