2025年7月5日より劇場公開される、遠上恵未が監督・脚本を務め、第24回TAMA NEW WAVE コンペティション部門で入選 、城下町映画祭 第21回自主制作映画コンテストで大賞を獲得した映画「平坦な戦場で」の、予告編が公開された。
予告編では、はじめに映画批評家・児玉美月のコメントが紹介されたあと、一見すると”平坦”に見えるものの、個人の属性に対する差別・偏見=個人の心身を傷つける”敵”が潜む日常の光景が描かれていく。
「平坦な戦場で」は、恋人として平穏な日常を送っていたはずの高校生の男女が、思わぬ形で性的搾取と遭遇する物語を通じて、多くの人々が”ただの日常”と受け入れてしまう属性への偏見や、経済格差が蔓延(まんえん)する社会、それらがもたらす人間の孤独と苦悩をつづった作品。
監督・脚本の遠上恵未は、“若い女性”という社会に押しつけられる属性に囚われる24歳当時の自己と向き合った「遠上恵未(24)」で、ぴあフィルムフェスティバル PFFアワード2020に入選。初の長編監督作である本作では、男性も押しつけられる性の属性をはじめ、人間を孤独へと追い詰める現代の日常を、より多面的かつ切実に描き出した。櫻井成美と野村陽介がダブル主演を務め、それぞれの心の痛みにさいなまれながらも、“生き延びる”方法を模索する主人公たちを演じている。
一足先に本作を鑑賞した著名人によるコメントも公開された。コメントは以下とおり。
【コメント】
■児玉美月(映画批評家)
スクリーンに映し出された平坦な光景に見えるそこではいったい何が変質し、何が水面下で蠢いているのか。観客はそれこそを注視しなくてはならない。わたしたちが闘わなくてはいけない「敵」は、そこら中に影を潜め、そしていつも凡庸な顔をしているものなのだから。
■市井昌秀(映画監督)
万札をマグネットで冷蔵庫に貼り付ける父親に虫酸が走り、空気を読まないと生き抜けない友達関係にうんざりする。
繰り返される平坦な日常は、ただのコピペや反復ではない。
たった一つの亀裂でいとも簡単に崩れ、2人の高校生男女はより外の孤独な者たちと出会い、さらなる戦場へと導かれる。
私の心は散々かき乱されるが、孤独を知る者こそわかち合える微かな希望の表出に、ぼっと火が灯った。
安易な希望を描かない遠上監督の眼差しと姿勢に共感を覚え、この作品を通じて知らない者同士が繋がれたら素敵だなと想像しました。
■菊地健雄(映画監督)
可笑しさはせつなく、哀しさはやるせない。遠上恵未監督は、そんな人間という存在のどうしようもない可笑しさや哀しさに対して、真正面から誠実に繊細に対峙している。淡々と繰り返される日常がふとしたはずみで変容したあとの、人の善意も悪意もとどかない向こう側は、どこまでもせつなくやるせない。でも、僕らが平坦な戦場で生き延びるために必要な人間関係はようやくそこから始まるのだ、と教えてもらった。
そして、この作品には、僕も知っている玉りんどさん、大河原恵さんが出演しているのだけれども、自分にはついぞ引き出せなかった彼女たちの魅力が画面に充満していた。そのことで密かに嫉妬を覚えたのは、ここだけの話である。
■木村奈緒(ライター)
生きているかぎり、日常は常に戦場なのかもしれない。
しかし遠上恵未は、どのような環境下であろうとも、自分であろうとすることをあきらめず、目の前の違和感を、存在を、痛みをなかったことにしない。
その一点でもって、私は今後も遠上恵未の作品を観続けるだろう。
■樋口尚文(映画評論家・映画監督)
この作品は、やさしく繊細な高校生カップルの動静から、この社会の息詰まる「平坦」さの呪縛をあぶり出す傑作だ。そのブレッソン的なショットの積み重ねは、静謐ななかにも尖鋭に、いかんともしがたい日常の閉塞感を描き出す。
そして乾いたセックスの売買をめぐる青春の悲喜劇を通して、遠上恵未監督はヒステリックなフェミニズム称揚やセクハラ批判の次元をしなやかに跳躍し、われわれを縛る不自由なこわばりを解くヒントを見せてくれるだろう。
【作品情報】
平坦な戦場で
2025年7月5日(土)より池袋シネマ・ロサで2週間公開
(C)2023/遠上恵未