庵野秀明 VS 樋口真嗣 『シン・ゴジラ』とは別物の何か 『シン・ウルトラマン』レビュー

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庵野秀明 VS 樋口真嗣 『シン・ゴジラ』とは別物の何か 『シン・ウルトラマン』レビュー

はじめに

 お疲れ様です。茶一郎です。『シン・ウルトラマン』皆さんご覧になりましたでしょうか。2016年『シン・ゴジラ』に続く偉大な昭和特撮を現代に蘇らせる「シン」映画。脚本・庵野秀明さんとしては『シン・エヴァ』以降、初の新作として大注目作なんですが、若干困ってしまった自分もいました。

 「現実対虚構」というキャッチフレーズを掲げた「現実」と「フィクション」との最高のブレンド、邦画史上類を見ない方法で作られた奇跡の『シン・ゴジラ』と比べて、本作は「空想と浪漫。」のコピーの通り、二次創作的で“ぬけ”の良い空想特撮。同時に、「編集」という意味では、二人三脚で走る樋口監督と庵野監督のうち、映画を観ていると次第に庵野監督の姿が見えなくなる奇妙さも感じました。『シン・ゴジラ』と比べて言葉通り「岡本喜八-庵野秀明が不在なんだ」とこの『シン・ウルトラマン』。あくまで特撮・ウルトラマンファンではない私の視点で感想まとめていきます。

あらすじ

 「怪獣」ではなく「禍威獣」。「科(学)特(別捜査)隊」ではなく「禍(威獣)特(設)対(策室専従班)」という、1966年の初代『ウルトラマン』を現在の現実の世界に接近させるという、『シン・ゴジラ』同様の脚色がなされた設定です。この「禍特対」が透明禍威獣ネロンガ撃退中に現れた銀色の巨人、この巨人を「ウルトラマン(仮称)」と呼称する。「禍特対」とウルトラマン、そして「禍威獣」「外星人」を描く『シン・ウルトラマン』です。

『シン・ゴジラ』との相違

 愛だな、と。「ウルトラQ」から始まり「ウルトラLOVE」詰め合わせ。作り手の題材に対する距離感が近いなと映画始まって5秒くらいで気付くという、『シン・ウルトラマン』体験でした。この段階から、おやおや『シン・ゴジラ』とは違うぞ、と。

 『シン・ゴジラ』はご存じの通り、庵野総監督「ゴジラに対してはあまり愛着がない」と。『シン・ゴジラ』のメイキング本「ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ」での本作の樋口監督へのインタビュー「『シン・ゴジラ』を撮ってどのようなことを得られましたか?」という質問に対して『「庵野さんって怪獣映画におもいいれがまったくないんだ」と分かりました』とお答えしていて笑うんですが、『シン・ゴジラ』では「ゴジラ」というよりは庵野総監督、敬愛されている岡本喜八作品にリスペクトを捧げました。実際、劇中で超重要人物、空白の主役とも言うべき「ゴジラの中の人」として、岡本喜八監督を起用。結果的に“ゴジラのいちばん長い日”『シン・ゴジラ』は、特撮/ゴジラ映画とは別の面白さがある傑作になって、自分のような特撮に限らない映画ファンを惹きつけた訳ですが、そのLOVEの対象が「ウルトラマン」に変わったのが本作なんでしょう。

 「エヴァの原点はウルトラマンと巨神兵。」というのは「館長 庵野秀明 特撮博物館」のキャッチフレーズ。「怪獣倉庫座談会」では庵野さん、自分が「ウルトラマン」を監督したら「地球防衛軍に焦点を当てる。一番好きなのはザラブ星人」と発言し、まさにこのザラブが今回登場する。そのまま2003年の夢が本作『シン・ウルトラマン』になった、あの頃の「怪獣殿下」が脚本と監督を務めた二次創作感を隠さないというのが、まず『シン・ゴジラ』とは違っていて驚いたという初見時でした。

 元々、1話30分×39話の初代『ウルトラマン』から、作り手が好きな回を詰め合わせる形で112分に入れ込んだ、1本の映画というよりダイジェスト感が強く、この詰め込みによって1本の映画として失われたものは、それはもう仕方なしと。政治劇的な面白さがまず前半に出ていた『シン・ゴジラ』とはまったく別物です。リアリティも原作リスペクトでかなりフィクション寄りになり、しっかり「ウルトラマン」的なユルさもある、コメディもある、空想特撮の素材そのものの面白さを全編に刻むぞという試みに見えます。

 同時にオタク的なウルトラマンイデオロギー。カラータイマーを付けないとか、誤植ネタ、「アタッチメント」、当時の着ぐるみの再利用をイジるようなメタ発言等々、コアファン向けのネタも多しという。このあたり、他の「ゴジラ」作品を観ていなくても楽しめる『シン・ゴジラ』的なものを期待すると、落差に驚くのかな?という感じでした。自分も全く気付いていないネタが多いと思います。

 自分の事を言うと、ゴジラ、平成ガメラは観て育って体に馴染んでいますが、「ウルトラマン」に関しては本当に小さい頃に見ただけで、ファンではないです。昨年から本業で特撮の仕事をやってますので、社会人になって仕事のためにウルトラマンシリーズを観たという、超不純なにわかです。本作『シン・ウルトラマン』に関しては、試写でまず拝見しまして、ここまで愛が溢れているかと驚いて、自分が語って良いものかと、公開まで2週間ずっと頭を抱えておりました。

良い点 情報量と撮影

 ただそんな不純な私、一映画ファンとしても感動できたポイント、ある種『シン・ゴジラ』的に良かったポイントは、序盤のショットと編集でしたね。庵野作品ファンにはもう「エヴァ」からお馴染みの実相寺アングルというやつです。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」実相寺昭雄監督のショット。手前に置いてある物で画面を大きく埋めて、物と物の隙間に俳優を写す変なショット、異常なローアングル、逆光とか、とてもアート的なショットを入れ込む実相寺監督。予告映像でも観測できますが、このつるべ打ちというのが『シン・ウルトラマン』の序盤。脚本・庵野さんが編集を担当されている事で、一々情報量が多い実相寺アングルショットが、岡本喜八監督譲りの高速編集によって繋がれていくという。情報の洪水を浴びる気持ちの良さはありました。『シン・ゴジラ』的映像編集の快感を追体験できる『シン・ウルトラマン』の序盤だと思います。

 『シン・ゴジラ』の時も庵野総監督、撮影の山田康介さんに「実相寺作品を観るよう」指示したと「ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ」にありますが、今回は題材が「ウルトラマン」だけあって、容赦がない『シン・ゴジラ』を越えた止まらない実相寺昭雄濃度。序盤の情報量は『シン・ゴジラ』を明らかに超えたものでした。良かったです。

 庵野監督作と言えば、一番最初のウルトラマン作品『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』も、低予算でもカッコイイ画が撮れるという事で実相寺アングルのオンパレードでしたので、本作はその大作リメイク版にも見えます。

 何より本作『シン・ウルトラマン』からは庵野監督、実写長編1作目、こちらも実相寺アングルマシマシの『ラブ&ポップ』を想起します。特に本作では実相寺アングル以外に特徴的な撮影、iPhoneでの撮影が多用されます、『シン・ゴジラ』の比じゃない多用っぷりです。この手持ちのドキュメンタリックなカメラ映像を使用して映画を作っていくというのは、『ラブ&ポップ』の手法です。当時は手持ちビデオカメラの映像でリアルな女子高生の様子を切り取るという意図。東京国際映画祭の庵野秀明特集でのトークショーによれば、『ラブ&ポップ』は「今そこにあるものしか撮らない」と決めて作ったと。この『ラブ&ポップ』の「そこにあるものだけ」を撮る庵野監督の撮影手法は、24年の時を経て、本作の禍特対の撮影、切り取り方に効いてきています。

 『ラブ&ポップ』的、実相寺アングルと手持ち映像で撮られた禍特隊の「そこにあるもの」「現実」。それと対比される「虚構」は、禍威獣とウルトラマンです。現実の一方、そこに着ぐるみではない無機質なCGの禍威獣が現れる、今回の禍威獣は無機物的なデザインというのが対比を強調させます。『特撮映像最大の特徴は「現実と虚構の間」を描けるところ』というのは、再び「ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ」の庵野総監督の言葉ですが、その「現実と虚構の間」、「現実にそこにあるもの」と「虚構のCG」の合流地点。それを見れた序盤で、もう鑑賞料金の元は取れたなという感じでした。

良い点 情報量と撮影

 何より本作で最も「虚構」感、現実離れした異物な存在は、銀色の巨人。ファスナーもカラータイマーもない、成田亨さんの「真実と正義と美の化身」。庵野さんの所信表明にある通り、この美しさが観客に伝われば、ある種、作品としての目的は達成されたものだと思います。そういった意味では、本作『シン・ウルトラマン』、僕は納得いくものでした。

 本当にウルトラマンが美しいんですよね。予告でも長澤まさみさん演じる浅見がこの銀色の巨人を見て、「あれがウルトラマン…」と言うシーンがありました。当然ながらこれは『シン・ゴジラ』矢口の「あれがゴジラか…」と対になるセリフですが、本作では「あれがウルトラマン」の後に台詞が続き、「あれがウルトラマン…綺麗」と。この辺りは観客一緒になって、せーの「綺麗」って思わず言いたくなる見せ方を今回、『シン・ウルトラマン』が達成できている段階で成功作と言っていいんじゃないかなと思います。

自悪い点 岡本喜八の消失

 ここまでが序盤ですね。僕が凄い良かったと思った序盤。あくまで『シン・ゴジラ』で観たものの繰り返し、『シン・ゴジラ』の追体験的ではあるんですが、それを「ウルトラマン」という題材でもできているというところで観ていてテンションが上がりました。ただ冒頭のカット数が多くて、実相寺アングルで、素早い岡本喜八編集というのは、中盤から段々とペースが落ちていってしまいます。これを冒頭で、「庵野秀明監督の姿が見えなくなる」「岡本喜八の不在」「岡本喜八の消失」と表現しました。ダイジェストが功を奏して、映画自体の物語の密度が大きいので、初見時はそこまで気にはならなかったんですが、二回目観てやっぱり単純にテンポが失速している印象もありました。

 この辺り、公開と同時に発売された「シン・ウルトラマン デザインワークス」というデザイン集の庵野監督の手記を見ると、状況をお察しする感じでした。簡単に要約すると、本作の制作において、庵野監督は『シン・エヴァ』制作と重なって現場に行けなかったと。現場に行ったのは6日と半日だけ。急遽やることになった編集も、「残念ながら、作業途中で時間切れになるかも知れません」と仰っている、庵野監督的には不本意な所もありつつ、本作の樋口監督に最終的な判断を任せたという。「総監督」というクレジットも本作では「総監修」となっている。ある種、庵野総監督が不在の『シン・ゴジラ』が、この『シン・ウルトラマン』だったのかな…と察するような手記でした。

 さらに、先ほどから庵野監督の過去作と比較して、本作のカット割、実相寺アングルを言及しましたが、これは別に庵野監督の指示ではなかったとも仰っています。現場での判断、おそらく樋口監督主導の下での映像だったと。これも興味深く、樋口監督が庵野作品的な映像に寄せていった、より庵野総監督不在の『シン・ゴジラ』である『シン・ウルトラマン』が強調される記載でした。

 『シン・ゴジラ』は、全編プリヴィズ撮影という、実写を撮る前に全てのカット割、セリフのタイミングをCGで決めて、それ通りに実写を撮るという、ある種、アニメ制作のように撮られた、現場での撮影を庵野総監督が完全に近い形でコントロールする、庵野総監督が「邦画の現場システム」というゴジラに抗った異常な実写映画だった訳です。その『シン・ゴジラ』の核ともいえる、このプリヴィズ撮影は本作では一部しか使用されていないというのも作品のリアリティやジャンル以上に、『シン・ゴジラ』と『シン・ウルトラマン』との大きな違いかもしれません。

 『シン・ゴジラ』が奇跡の一本だったんだなと思いながら、ぜひ「シン・ウルトラマン デザインワークス」を、映画と合わせてご覧頂ければと思いますが、改めてやはり本作は樋口監督作として評価すべき作品なのかなと思った次第でございます。

 個人的には禍威獣のアクションシーン、ウルトラマンとガボラが対峙しているショットとかですね、ウルトラマンファンの方には怒られてしまうかもしれませんが、やっぱり樋口特技監督の「平成ガメラ」、「ガメラとイリスだ!」とか思ってテンション上がってしまいました。

 コロナ禍での厳しい制作状況を、観客としても同情してしまいます。は『シン・ゴジラ』的な「現実と虚構の間」を描く、虚構性の高い、異常な存在、異物として画面を支配する銀色の巨人=ウルトラマンですが、これがまたテーマと重なってきます。ここからは具体的には申し上げませんが、予告編以上の中盤以降の展開にも言及しますので、必ず本編ご鑑賞後にご覧頂けますようお願い申し上げます。

!!以下は本編ご鑑賞後にお読みください!!

テーマ 外星人とどう向き合うか

 冒頭の「ウルトラQ」オープニングオマージュ、おまけに『シン・ゴジラ』の名前を出したり、明らかに『シン・ゴジラ』のゴジラがベースのデザインのゴメスを登場させたり、竹野内豊さん演じる政府高官とか、権利上直接言及できないけど『シン・ゴジラ』の精神的な続編感を匂わせる描写。「皆さん、もう分かってますよね(チラチラ)」と、ファンサービスがズルイですね。この辺りは『シン・ゴジラ』ファンの方は黙ってサービスを享受したい辺りでございました。

 『シン・ゴジラ』と言えば、劇中でとても重要なモチーフ、序盤で失踪する岡本喜八監督=牧教授が宮沢賢治の『春と修羅』を遺物として残していき、妻を亡くした牧教授と妹を亡くした宮沢賢治とが重なり、ゴジラが修羅に重なります。牧教授の亡き妻への想いが日本を襲う物語の展開と背景を予感させる書籍モチーフだった訳ですが、本作では特報でも出ていましたレヴィ=ストロースの『野生の思考』がその書籍モチーフとなっていました。ウルトラマンとなった斎藤工さん演じる神永が、この『野生の思考』を読むという印象的なシーンが挿入されます。

 レヴィ=ストロースもアマゾンへフィールドワークに出向いて、ボロロ族、ナンビクワラ族、西洋社会から見たら未開人と呼ばれていた人々にも「社会」があると知ります。そのレヴィ=ストロースの気付きを、本作では外星人ウルトラマンのそれと重ねているという事だと思います。

 ホモサピエンス=人類は、文明人である外星人ウルトラマンとどう向き合うか。先ほど引用元として挙げた「怪獣倉庫座談会」で、樋口真嗣監督は「『ウルトラマン』の素晴らしさはウルトラマンを許容できる人類だ」と発言されていて、これも本作のテーマ、原作からのストーリーチョイス、中盤以降の展開に直結していると思います。

 悪役版ウルトラマンとも言えるザラブとメフィラス、子供を助けた神永の自己犠牲の精神に心を打たれて人類を理解しようとするウルトラマン。一方、人類を理解しようとせず下等生物として、兵器として利用しようとする、支配しようとする、そんな悪者版ウルトラマン=外星人の出現を目の当たりにして、人類は外星人ウルトラマンを許容できるのか、と。

 特にメフィラスは素晴らしかったですね。メフィラスを演じた山本耕史さん超ハマり役でしたし、描写も外星人割り勘とか、外星人ブランコとか、「怪獣散歩」ならぬ外星人散歩。本作は実相寺アングルを多用していますが、意外にも実相寺監督回からの引用がなかったですね、ただこのメフィラスとウルトラマンの人類についての議論は、『ウルトラセブン』の実相寺監督回の「狙われた街」がちょっと入ってたんじゃないかなと思います。その内、ちゃぶ台出るんじゃないかと思って観ていました。

 黒い服のメフィラスと白い服の神永=ウルトラマンとの対比が強調する、「人類」と外星人の共存。「異人種」「他者」との共存というのはウルトラマンあるあるモチーフですね、最近の『ウルトラマンタイガ』は、明らかに宇宙人を異人種、移民として置き換えて、劇中で移民排斥ヘイトデモを描いていました。

 残念ながら、本作『シン・ウルトラマン』は、ダイジェスト感、5話分を112分にギュッと圧縮していますので、このテーマを描くには、神永と浅見のバディ描写にもう少し尺と描写が必要かなと思ってしまいました。展開として性急な印象があります。「ウルトラマン、君は外星人なのか?人間なのか?」。奇遇にも樋口真嗣監督のもう一つの「ウルトラマン」映画、実写版『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』の「君は人間なのか?巨人なのか?」が頭をよぎります。本作『シン・ウルトラマン』は樋口監督にとって『ウルトラマン パワード』のリメイク版であり、同時に『進撃の巨人』のリベンジでもあったように思います。

物語のラストについて

 序盤は編集も撮影も原作設定の脚色も『シン・ゴジラ』だった訳ですが、終盤も『シン・ゴジラ』的な人間讃歌、人類鼓舞、「日本はまだやれるぞ!」という高揚感を再び我々に与えようとしています。「私は好きにした、君らも好きにしろ」と牧教授が人類に託したように、ゼットンに対してウルトラマンも、「僕は君たち人類のすべてに期待する。」と、方程式、関係式を人類に残すと展開が対になっていますので、どうしても『シン・ゴジラ』と演出の盛り上がりも比較したくなってしまうんですが、そこまでこの『シン・ウルトラマン』のラストの人類の叡智を集結するという展開は、ドライブしていきませんでしたね。

 『シン・ゴジラ』の特撮映画である虚構性を活かしたヤシオリ作戦というぶっ飛んだ「嘘」と比べると、やや淡白でした。これも個人的には『シン・ゴジラ』と比較して残念だなという辺りです。“もっと盛り上げても良いのに”“もっと盛り上げてくれよ!”と、ずっと思って観ていました。同時に人間の分からなさ、人間の不合理さを理解しようとするウルトラマンと、それを排除しようとするゾーフィの対峙も、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』におけるラスト、人間の不合理さ、混沌、他者の分からなさを嫌い、他者に対してATフィールドを張っていたゲンドウとシンジの対峙、13号機と初号機の対峙をどうしても重ねてしまいました。

 ウルトラマンの人類への理解は、他者への理解というテーマの延長線上、「エヴァンゲリオン」シリーズの延長線上に位置するように見えました。樋口監督の「『ウルトラマン』の素晴らしさ」と庵野脚本のコラボでしたね。

さいごに

 そして『シン・エヴァンゲリオン劇場版』での「さらば」「さようなら」、初代ウルトラマンの「さらばウルトラマン」「さようならウルトラマン」からの本作の「おかえりなさい」というのは神永に対するセリフ以上に原作『ウルトラマン』ひいては偉大な昭和特撮に対する作り手のメッセージでしょうね。

 本作は庵野監督の構想的には三部作の1作目ということで、ここから本作がヒットすれば『続・シン・ウルトラマン』、『シン・ウルトラセブン』に続くと。昭和特撮、「ウルトラマン」というコンテンツに対して「おかえりなさい」という意味もあると思います。

 個人的には良い所もあります、『シン・ゴジラ』と比べてちょっと納得できない所もあります。そんな中途半端なバランスの『シン・ウルトラマン』でした。ただ冒頭15分、実相寺アングルと岡本喜八編集のコラボレーションと『銀色の巨人日本に現わる』これから先、何度も繰り返して観ると思います。一方で、庵野秀明・岡本喜八編集の消失。『シン・ゴジラ』の巨災隊と比較して、納得しづらい禍特対の描写、特に長澤まさみさん演じる浅見周辺の描写、良さと悪さが共存して、それもまた人類の創造物ということかもしれません。

 完成披露試写会で樋口監督が仰っていた言葉が心に残っています。「先行きの見えない世の中ですが、そこに必ず希望があると、子供たちに伝わるように作りました」と、自分のような大人の映画ファン、初日に絶対見に行くような大人特撮ファンを越えて、今の子供世代が「おかえりなさい」と初代の美しさを肯定できる、受け入れられる映画には本作『シン・ウルトラマン』がなったんじゃないかなと思います。ネロンガとガボラは買ったので、絶対にメフィラスのオモチャだけは買います。今週の新作は『シン・ウルトラマン』でございました。最後までご視聴誠にありがとうございました。さようなら。

【作品情報】
シン・ウルトラマン
公開中
©2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ


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茶一郎
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