下品!感動!カオス!この映画は一体、何なのか? 「エブエブ」茶一郎レビュー

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下品!感動!カオス!この映画は一体、何なのか? 「エブエブ」茶一郎レビュー

はじめに

 お疲れ様です。今週の新作は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』「エブエブ」でございます。今年上半期最大の話題作にして、発表前ですが2023年アカデミー賞で、下馬表通り作品賞を獲得するでしょう。オナラまみれの怪作『スイス・アーミー・マン』の監督が、お下品なギャグと奇抜な設定、持ち味を残したまま感動的な作品を作り上げました。ただし、アカデミー作品賞確実と言っても、観客全員を簡単に感動させてくれる一本ではない、観客はその圧倒的な情報量とパロディ、ポップカルチャーネタ満載で奇想天外、複雑怪奇な物語に挑まされる事になります。一体、どんな映画なのか?という事で、今週の新作は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』「エブエブ」でお願い致します。

基本設定

 娘との仲も悪く、結婚生活も限界を迎え、おまけに経営しているランドリーには税務署の監査が入る人生に行き詰まった主人公エヴリンはある日、別次元、「あり得た他の人生」多元宇宙へと誘われ、その宇宙を滅ぼそうとする敵に立ち向かうことになります。

どんな映画?

 もうこの設定から混乱される方もいらっしゃるかもしれません、おそらく初見時では物語を追うのに精一杯な方も多かったかと思います。僕も序盤からかなりの情報量に圧倒されて、気付いたら2時間20分があっという間、しかし最後には泣きました。本当に感動してしまいました。「エブエブ」まず驚いたのが、ちゃんとお下品で尖っているという事ですね。A24製作の映画としてはNo.1ヒット、加えてアカデミー賞最多部門ノミネートという事ですが、決して観客100人が見て100人共すんなり楽しめる作品ではないと思います。いわゆるハリウッド娯楽作の王道、あまりこの表現は好きではないですが“well-made”な分かりやすく全米が泣く映画ではないです。

 もう「エブエブ」が作品賞を獲る前提で話しちゃいますが、このタイプの作品が作品賞は珍しいというか、ギリギリ、2015年の『バードマン~』がブラックコメディとしては近いかな?というくらいです。かなり言ってしまえば、おバカSFコメディです。でも感動できるという逸品です。監督はダニエル・クワンとダニエル・シャイナートのコンビ「ダニエルズ」。前作は『スイス・アーミー・マン』という映画で、無人島に漂流した主人公が、十徳ナイフならぬ十徳人間、十徳死体と無人島脱出を図るという、これも映画をご覧頂かないと「十徳死体、何を言っているだお前?」という奇抜な設定、かつ全編オナラと下ネタ満載、でも最後は感動させられるという怪作『スイス・アーミー・マン』でしたが、その監督の持ち味、悪趣味な下ネタギャグをしっかり今回、残しています。アカデミー会員に媚びていない。

 まさか『スイス・アーミー・マン』の監督がアカデミー賞とは。ハリウッドザコシショウさんがR-1グランプリで優勝するくらいの衝撃を感じておりますが、それに値する、より前作に増して感動的な家族映画の要素を研ぎ澄ませ、さらに冒頭でも言いました、色々な映画のパロディ、映画だけではないポップカルチャー要素、哲学要素も盛り込んで、それだけではなく、アジア系移民、LGBTQ+、クィア、社会性も盛り込んでいます。加えて今回はカンフーアクションもやっているという、途轍もないボリュームを一つの映画に盛り込んでスマートにまとめた映画が「エブエブ」と言えます。

 もう何から話して良いやら?という中、今回、劇場で発売されているパンフレットがかなり作品を解説していますので、それもご覧頂きつつ、日本の劇場公開が遅れた事で監督のインタビューも出揃っていますので、パンフレットに無い部分は引用しつつ、この一筋縄ではいかないおバカSFコメディ感動作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』「エブエブ」をまとめていきます。

SF設定について

 まず混乱するのは本作のSF的設定ですね。主人公エヴリンが、税務署のエレベーター内で何やら、いつもとは様子が違う夫から「別の宇宙から来た」「何言っているのあなた?」なんて言っている間に、耳にデバイスを装着され、別次元、エブリンのあり得た他の人生、別次元の宇宙に飛ばされる、自分が女優になっている世界=ユニバース、歌手になっているユニバース、料理人になっているユニバース、人類の指がソーセージになっているユニバース。「多元宇宙」「可能世界」「マルチバース」。世は猫も杓子も「マルチバース」映画ばかりという、アメコミ・ヒーロー映画お好きな方はお馴染みの設定だと思いますが、この多元宇宙の行ったり来たりを軽快な編集、圧倒的なスピードで見せていく多元宇宙ジェットコースター映画「エブエブ」です。

 この設定自体は珍しいものでは無いですが、「エブエブ」が凄く面白いのは二点あって、一つはその別次元への飛び方でしたね。この辺りがダニエルズ印で、別のユニバースに行く際に「統計的にあり得ない行動をしなければいけない」何でそんなデバイス設計をしたのか?と思わず設計者を問い詰めたくなる。リップクリームを食べたり、嫌いな人に「愛している」と言ったり、最悪なのは指と指の間を紙で切る、もう劇場で叫びたくなりました、こういった具合に変なことをすることで、現在のユニバースから、別のユニバースへとジャンプする「バース・ジャンプ」の“ジャンプ台”を設定できると。今回、このまとめ方から分かる通り、いつもの動画より3倍くらい丁寧にまとめていくので、こんなの分かっているよという方は適宜飛ばして下さい。

 「バース・ジャンプ」のために「変なこと」をするというのが本作のギャグになっているという、とてもダニエルズらしい設定でしたね。しかもこの「変なこと」にダニエルズ変わってないなーという悪趣味なギャグが盛り込まれ、ハッキリ言うとお尻ですね。前作からオナラとか下品なんですよね、そこがこの監督コンビの面白さなんですが、ダニエルズはもう短編自体からやっていて『Interesting Ball』という短編映画。赤いボールと不倫をする女性の物語という、これも変な設定の短編なんですが、この短編で監督お二人がこのお尻の穴ギャグをやる、クアンのお尻にシャイナートが吸い込まれるという、監督自らお尻の穴を使ったお下劣なギャグをするという、お尻の穴に人質取られているのかと思うほどに、お尻の穴に取り憑かれている監督なんですが、それを本作でもしっかりやって、それでもアカデミー賞というお尻の穴監督です。これが設定の面白さ一個目です。

 もう一つは別のユニバースの自分の能力をインストールできるという、これは監督『マトリックス』を影響作として挙げています。『マトリックス』の有名なカンフーシーンで、主人公が格闘術をインストールして、カンフーをするというシークエンスありました。あの『マトリックス』設定を上手く物語に組み込んでいます。だからこの辺りのSF映画お好きな方は、すんなりと「あ、あれね」と映画入り込めたと思います。主人公は、カンフーを会得した別のユニバースのエヴリンからカンフー能力をインストールしてカンフーアクションで敵を倒す。時にピザ屋の看板を回している別のユニバースのエヴリンから、看板を回す能力をインストールする、『マトリックス』インストールアクションが設定の面白さ二個目。特に一個目が本作に独自の味付けをしていると思います。

マルチバースの意味

 この「マルチバース」設定は何を意味しているのか?という話ですね。これはメタファーであるという事は、監督インタビューで答えられています。まず一つは「ADHD」のメタファーという事だそうです。特に本作、物語を個人的なものとして作っていったダニエル・クワンさんがADHDを抱えていて、何か一つの物事を見ると、いろんなビジョンが頭に思い浮かんで、それに苦しんでいたという事なんですね。その監督の苦しみを今回のマルチバース描写、主人公が色々な可能性を見る、色々な別次元のビジョンを見るという設定に反映していったと。このADHDという要素は直接的には描かれませんが、本作の主人公エヴリンもADHDだと示されています。

 このエヴリンの設定にもう少し描写があれば、より作品のテーマが分かりやすくなっていたのではと思いますが、監督ご自身が苦しんでいるという事で、ことさらにこのADHDという設定を強調するのは不誠実だと感じられたのかもしれません。エヴリンは劇中では色々な事をやってはやめて、やってはやめてを繰り返したと、歌手を夢見たけど、やめて。一般的にはハンディキャップと捉えられる、このADHDですが、本作においては主人公が色々な事をやって挫折した、その経験が活きて、別のユニバースを能力として今の、自分にインストールできるという、ハンディキャップこそが宇宙を救うスーパーパワーになるという「エブエブ」です。

 ダニエル・クアン監督はドラマ『レギオン』シーズン3で1話監督を務めていて、このドラマ『レギオン』は本作が裸足で逃げるほどにかなり狂ったドラマですが、このドラマの主人公は統合失調症に苦しんでいる。本作のADHD同様の作品の監督を務めてたんですね。その主人公の安定しない主観、現実か妄想か分からない別次元の世界を行ったり、来たりするドラマでした。ダニエル・クワン監督が関わった、このドラマの描写、主人公の設定が本作に繋がっている気もします。

 もっと別のメタファーだとも監督は仰っています。「マルチバース」は「インターネット」のメタファーでもあると、インターネットでは多くの人が複数のアカウントを持って、別の人間を演じている、別のユニバースを生きている、表アカウント、裏アカ、趣味アカ、絵描きアカ、色々なユニバースを生きている。複数のアカウントを持っていなくとも、友達の色々なアカウントを見て羨んで、夢見ている。色々なユニバース、色々な可能性を持っているのにも関わらず、結局、何もできず今の世界を生きて、絶望している。本作の悪役、宇宙を滅ぼそうとするZ世代のジョブ・トゥパキは、色々なユニバースを見て、結局、自分の小っぽけさに絶望している、ニヒリズムに陥っている人物でした。世界に絶望して、他人のユニバースをあざけ笑う。Twitterでよく見る冷笑的な仕草をするユーザーが悪役と言っても良いかもしれません。自分も学生時代は、同級生のアカウントを見て、自分と比較して絶望して…なんて事をよくやっていました。一人一人がSNSアカウントというユニバースを持って、しかもそれを全世界に公開している、それぞれがそれぞれのユニバースを見て、嫉妬して、時に絶望して…と。この悪役設定は実にデジタルネイティブ世代に刺さると思います。そんな混沌として、絶望的なマルチバースの時代に、最も大事なものを教えようとする映画が本作「エブエブ」です。

 ちなみに「ジョブ・トゥパキ」という悪役の名前が僕は凄く印象的で、ジャバウォックから来てるのか?とか色々考えてしまいましたが、これは監督曰く、本当にランダムな、適当なワードという事だそうです。劇中でエブリンの「あなたは適当な事を言っているだけ」(意訳)なんて台詞ありましたが、この世の混沌さを表した名前という事です。

 「ADHD」「インターネット」のメタファーとしての「マルチバース」凄く僕が印象に残ったのが、本作で再びトップスターになったミシェル・ヨーのマルチバースの解釈で、ミシェル・ヨーがインタビューで、このマルチバースはアメリカにおける移民の感覚にとても近いと仰っている。「移民の親は子供に、もっと別の事をやっていれば、もっと良い結果の人生が子供に与えられたかもしれないと思いがち」だと。「移民の親は子供のために、もっと良い人生を選択できたはずだと後悔しながら生きている」と仰っていて凄く印象に残っています。本作のダニエル・クワン監督もアジア系移民一世ですが、移民のメタファーとしても「マルチバース」が機能しているという… 本作「エブエブ」もアジア的な、保守的な家族観が物語の根っこにある、アジア系移民を描いた作品ですが、A24作品は『フェアウェル』、『ミナリ』、そして来年のアカデミー賞に絡むであろう『Past Lives』と、こう見ると、アジア系を描いた良作・傑作揃いですね。

 当初は本作「エブエブ」はミシェル・ヨーではなく、何とジャッキー・チェン、『ポリス・ストーリー3』じゃ無いですが、ジャッキー・チェンを主演にしようとしていたのですが、叶わずミシェル・ヨーを主演に迎えて、母の物語になった。ダニエル・クワン監督は「アジア系の家族の母親は日常生活がマルチバースくらい混沌としているんだ」と。「常にマルチタスクを強いられ、家を綺麗にして、料理をして、家計簿をつけて」日常がマルチバース状態の母親を、混沌としたマルチバースの世界に引きずり込む映画に本作がなったと言っていて、これだけでも「ADHD」、「インターネット」、「移民」、「母」と、何重にもマルチバースという設定が活きている映画に本作仕上がっていると思います。

ネタバレ注意

 しかし「エブエブ」の要素はこれだけでは無いという…冒頭でも申し上げたパロディも満載です。この辺りから宣伝にはない要素、物語中盤以降にも言及しますので、ここからは本編をご鑑賞頂いた方のみご覧ください。

!!以下は本編ご鑑賞後にお読みください!!

映画パロディコメディとしての「エブエブ」(1)

 ということでダニエルズは持ち前の悪趣味・下ネタギャグだけではなく、数々の映画パロディもこの「エブエブ」に詰め込みました。このパロディ・コメディとしても、アカデミー作品賞の映画としては珍しいな、と思って観ていました。決して気取っていない。“well-made”とは離れてしまうかもしれませんが、監督がお好きなものを好き勝手に詰め込んだ”ザ・インディペンデント映画“的な手作り感。伸び伸びとした自由な作りが本作の魅力でもあり、観客を困惑させる辺りかもしれません。ちなみに小さな「手作り感」という意味では、本当にこの映画手作りで、視覚効果を(大手)制作会社に頼まず8人だけのチームで、独学でVFXを勉強してやったという事なんですよね。それでこのクオリティという凄さも感じつつ、本当に小さな手作り映画という…この作り手が自由にやっている感じが、本作を応援したくなる気持ちにさせるんですよね。

ミシェル・ヨーの俳優人生

 面白かったのは、別ユニバースにエヴリンがジャンプする度に、僅かながら映画のジャンルが変わるという作りでした。最もジャンルが変動するのは、エヴリンが夫と駆け落ちしなかったユニバース。このユニバースでエヴリンはカンフーを習得して大女優になっている。つまりエヴリンが演じているミシェル・ヨー自身になっているというユニバースでした。もう一つ、本作に要素を付け加えるとしたら「ミシェル・ヨーの俳優人生」ですね。このユニバースではミシェル・ヨーの輝かしいキャリアがかなりダイジェストですが、映像として挿入されます。

 監督ダニエルズは何個も影響を受けた作品をインタビューで公言していますが、日本の今敏監督の『千年女優』、『パプリカ』の名前を挙げています。特に『千年女優』は、このユニバースの描写に近く、ある大女優のドキュメンタリーを撮影する過程で、その女優が過去に出演した映画と、女優の人生が重なっていく、出演した時代劇、時にメロドラマ、時にSF、そんな出演した映画と女優の人生が交互に描かれる、現実とフィクションが混同して描写されるというアニメが『千年女優』でした。とても本作に近いです。

 監督ダニエルズは何個も影響を受けた作品をインタビューで公言していますが、日本の今敏監督の『千年女優』、『パプリカ』の名前を挙げています。特に『千年女優』は、このユニバースの描写に近く、ある大女優のドキュメンタリーを撮影する過程で、その女優が過去に出演した映画と、女優の人生が重なっていく、出演した時代劇、時にメロドラマ、時にSF、そんな出演した映画と女優の人生が交互に描かれる、現実とフィクションが混同して描写されるというアニメが『千年女優』でした。とても本作に近いです。

 ミシェル・ヨー本人にジャンプしたエヴリンは、昔別れた夫と再会して、過去の恋愛を懐かしむ。ここでは特にウォン・カーウァイ監督の『花様年華』という映画をパロディにして、そのままのカット割をしたり、元のユニバースではイケていない夫のキー・ホイ・クァンが、『花様年華』のトニー・レオンばりにスーツをビシッと着て、超イケてるキー・ホイ・クァンになっていました。今回、子役から『X-MEN』等の武術指導を経て、再び俳優としてカムバックしたキー・ホイ・クァンは、いくら褒めても褒め足りないと思います。90%以上スタントなしで行ったという素晴らしいアクションに加えて、このユニバースでは、一度、終わってしまった愛がまだ続いていると告白するキー・ホイ・クァンの大人な演技。キー・ホイ・クァンの演技によって底上げされているユニバースでもありました。

映画パロディコメディとしての「エブエブ」(2)

 ミシェル・ヨーの俳優人生をウォン・カーウァイ調メロドラマに仕上げるというパロディもあり…劇中でも最も奇怪な人類の指がソーセージになってしまったユニバースでは『2001年宇宙の旅』。最近では『バービー』の予告でのパロディが記憶に新しい、「人類の夜明け」で武器を持った猿人ではなく、指がソーセージになった猿人が他の猿人を殺す「ソーセージ人類の夜明け」でした。

 一番僕が好き、おそらく皆さんも一番お気に召したと願いたいのは、まさかの『レミーのおいしいレストラン』パロディでした。ネズミがレストランの雑用係の青年と言葉通り“一心同体”になって料理人を目指すピクサーアニメですが、エヴリンはネズミではなくアライグマだと勘違いしていた。『レミーのおいしいレストラン』の原題“Ratatouille”ではなく“ラクーン”、“ラカクーニ”それがユニバースとして現れるという奇妙なパロディでした。あ、ちなみにこの『レミーのおいしいレストラン』もネズミとして描かれていますが、これは一般的な解釈で、このネズミは非白人の移民、アジア系なのか、アフリカ系なのか、そういった非白人のメタファーで、そのフランス語がおぼつかない非白人が白人コミュニティで料理人を目指すという、移民のおとぎ話でもあった訳ですよね。なので単純にパロディとしても面白いですが、本作のテーマにもマッチするというまでは活きていないので監督がどこまで意識されていたかは分かりませんが…。

 2月に試写で見た際にもツイートした通り、『花様年華』から『レミーのおいしいレストラン』までパロディをするという映画パロディコメディとしての要素も「エブエブ」はあります。とんでもない情報量を詰め込んで、でもとてもスマートな編集で決して混乱する事なく観られる見事な編集の映画だったと思います。ただ観た後にすごい疲れましたけどね、良い疲労感もこの映画体験の魅力だとは思います。

家族と優しさ-ぽっかり空いた穴とギョロ目

 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』「エブエブ」は3部構成。正確には2部とエピローグからなる3部構成の映画です。このパート間でもジャンルが微妙にシフトしていて、1部「Everything」はマルチバースとジョブ・トゥパキのカオスとカンフーアクション・おバカSFコメディ。2部「Everywhere」はそのマルチバースの収束と家族映画と、それぞれのパートのテーマとジャンルをまとめる事ができるかと思います。

 「エブエブ」全編至る所にあらわれる空虚な穴、この映画はまさに「誰も映っていない」丸い鏡、やはり“穴”のイメージから始まりますが、これは悪役ジョブ・トゥパキが全てを無にするブラックホール的「ベーグル」の穴でした。2部目ではエヴリンが世界と自らの小ささに絶望しているジョブ・トゥパキのその心の“穴”を埋めるべく、ギョロ目をつけて人々を癒し、マルチバースのカオスを収束させるパートです。まさかエブリンの夫がランドリーに付けていた「ギョロ目」のシールが“穴”とは真逆のイメージとして、その“穴”を埋めるイメージとして重要な役割を持っていたとは、このイメージの使い方には流石に感心させられました。見事なイメージ使い。

 これは宣伝でも言及されていますので言ってしまっても良いと思いますが、ジョブ・トゥパキはアルファ・バースという80年代SF的ルックの、エヴリンがバース・ジャンプの装置を開発したユニバースで、娘にスパルタを強要したせいで生まれたモンスター。マルチバースを扱った壮大な物語ではありますが、実態は片手に収まる半径1メートル範囲内の小さな、小さな、家族の物語。宇宙を救うアドベンチャーは、娘との、夫との、父親との和解に収束します。とても混乱する映画ではありますが、感動的な小さな物語に辿り着くというのがこの「エブエブ」の魅力であり、アカデミー会員を唸らせる辺りだと思います。僕もすっかり感動させられました。

監督過去作から見た本作

 監督ダニエルズの前作『スイス・アーミー・マン』もとても奇抜な設定の映画ではありますが、やはり親子の確執と傷ついた心の傷、本作とは異なり子供の視点でそれを描き、最後は感動的に幕を閉じる映画でした。ダニエルズはMV監督出身ですので、過去の作品から本作へと繋がるものもあります。ダニエルズが監督を務めたマンチェスター・オーケストラの「♪The Alien」は崩壊した家族を逆再生で映していく短いながらとても感動的なMVです。最も本作に近いシンズの「♪SimpleSong」は父親が冒頭で亡くなり、その遺産をめぐって3人の子供が家の中で大喧嘩をする現在と、かつて仲が良かった頃の過去の家族の映像とを交互に映す、本作の壮大な家族喧嘩に繋がるMVで、最後にはやっぱり感動させられます。

 この家族愛をずっと謳っていたダニエルズの手腕が本作ではより研ぎ澄まされ、大きな感動を生んでいます。MV出身である監督の素質が活かされた、序盤からエヴリンの焦っている感情を表現する、観客までイライラしてしまうほどの劇伴、ずっと劇伴が鳴り止まないMV的な感覚が一貫してある「エブエブ」ですが、その音楽も生物発生の条件が揃わなかったユニバースの静寂がアクセントとなります。音楽の感覚も見事なのは言うまでもなく、ここでは岩となったエヴリンと娘の対話が繰り広げられます。

本作のテーマ

 Z世代特有なのか、冷笑的な娘の虚無に飲み込まれそうになるエヴリンを救うのは、夫の “kind” という言葉。字幕では「優しくしなくちゃ」と訳されます。これはカート・ヴォネガット・ジュニアの言葉である事は、パンフレットでもご指摘されている方がいらっしゃいましたが、僕も試写を見た際に、カート・ヴォネガット・ジュニアの書籍を引用して、本作を中年女性版『スローターハウス5』なんて表現してしまいました。カート・ヴォネガット・ジュニアの教えは、人も神を信じられないどんな絶望的な状況でも目の前の人に「親切」「優しく」なる事は意味を持つのではないかというものです。

 カート・ヴォネガット・ジュニアの「ジェイルバード」という書籍は、作者であるヴォネガットの元に高校生から手紙が届いたという所から始まります。その高校生曰く「あなたの数ある書籍は一つの思想に基づいている」と。その高校生の言葉は「愛は負けても、親切は勝つ」。本作に言い換えれば「愛は負けても、優しさは勝つ」と言った具合でしょうか。ダニエル・クワン監督は、本作を2010年に構想した際に『素晴らしき哉、人生』、『恋はデジャ・ブ』といった一般人がとてつも無い奇妙な、SF的な出来事に巻き込まれる映画を研究したと仰っています。僕は特に本作を観た時に後者『恋はデジャ・ブ』を思い浮かべました。

 この『恋はデジャヴ』は傲慢な主人公が、田舎町での1日に閉じ込められるタイムリープSFですが、いつしか主人公は何千回と1日を繰り返すことで世界には意味がないと、神はいないと、世界に絶望して、自死をはかったりもする、彼をその閉じ込められた1日から脱出させるのは、やはり“kind” 「優しさ」でした。世界に神はいないことは分かった。自分が世界で小っぽけな存在なのは分かった。でも目の前にいる人に対して行う「優しさ」は決して無意味なものではないと。

 本作のエヴリンも『恋はデジャブ』同様、夫から教わった「優しさ」をギョロ目に託して、目の前の人に優しさをギョロ目としてぶつけていき、空虚な“穴”を埋めていきます。最後にギョロ目をぶつけるのは当然、悪役ジョブ・トゥパキこと娘。カート・ヴォネガット・ジュニアの思想を受け継ぎ、『恋はデジャブ』を経由して、この混乱して時に下品だった映画「エブエブ」は「優しさ」と愛の物語に集約しました。初見時、映画を見終わった後、「エブエブ」のファースト・カットを思い出して、僕は泣いてしまいましたね。ぜひ皆様もファーストカットを思い出して頂きたいのですが、税務署の監査人が領収書に書いた“穴”、カラオケの機材を囲った丸ですが、このイメージはこの「エブエブ」のファーストカット、まさにそのカラオケ機材を使って歌っているであろう家族3人を映す鏡、丸い鏡に繋がります。

 実はこの「エブエブ」は映画の冒頭で、“穴”を埋めるものを示していたんですよね。それはカラオケ機材で歌う家族3人。家族の愛だった訳です。本当に巧みな映像イメージで家族愛を語った緻密な映画だったと思います。絶望的なマルチバースの時代だけど、最も大事なものは目の前の人への愛だと、「優しさ」だと、娘を抱きしめるエヴリンの言葉を借りれば “eveywhere”ではなく“always here” 「どんな世界より、いつもあなたとここにいる」。無意味で小っぽけな人生に意味を教えてくれる美しい映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』「エブエブ」だったと思います。

さいごに

 こんなに手作りで、一見、混沌とした映画がアカデミー作品賞を獲るなんて、まだこの絶望的な時代も捨てたもんじゃないなと思います。多様な映画が認められるというのは素敵な事だと思います。今週の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』でございました。また次の新作映画でお会いいたしましょう。最後までご視聴誠にありがとうございました。さようなら。

【作品情報】
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
2023年3月3日(金)公開
© 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved. 


下品!感動!カオス!この映画は一体、何なのか? 「エブエブ」茶一郎レビュー

茶一郎
最新映画を中心に映画の感想・解説動画をYouTubeに投稿している映画レビュアー

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