新海誠監督がついにやった! 11年向き合った集大成 「すずめの戸締まり」茶一郎レビュー

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新海誠監督がついにやった! 11年向き合った集大成 「すずめの戸締まり」茶一郎レビュー

はじめに

 お疲れ様です。今週の新作は今年一の話題作と言っても良いでしょう。新海誠監督最新作『すずめの戸締まり』。当初から三作品の契約だったという新海誠監督と東宝とのタッグ作品も、『君の名は。』、『天気の子』そして本作『すずめの戸締まり』にて完結です。

 監督曰く「災害三部作」(になりそう)であるこの三作品のトリを飾るのにふさわしい、本作は一貫して描かれてきた「災害」に対する距離感が『君の名は。』の2016年から6年の時を経て熟成された、宣伝文のように「新海誠 最高傑作」とは思いませんが、監督はしっかりと前二作品と向き合った最も成熟した“オトナ”な一本であり、同時に「ここまでやって良いのか」と困惑する問題作だとも思いました。いずれにせよ本作へと至るのに確実に6年は必要だったように思います。まぁ泣きましたし、感情が整理できないシーンもありました。今までの監督作とは異なる点も興味深かった。いろいろ言いたい事あります。今週の新作『すずめの戸締まり』お願いします。

どんな映画?

 『君の名は。』、『天気の子』そして本作。仮に監督の言葉からもらって、これら「災害三部作」と呼びましょう。共通項がとても多いこの三部作ですが、ベースとなるジャンルは変えてますね。「ボーイ・ミーツ・ガール」、本作は「ガール・ミーツ・ボーイ」、「日本的アニミズムファンタジー」という軸のジャンルに掛け合わせる形でジャンル「入れ替わりSF」、「擬似家族モノ」そして本作は何が掛け合わされたのか?『すずめの戸締まり』は「ロードムービー」と言った具合でした。

 処女作『ほしのこえ』からとにかくサービス精神が旺盛な監督は、本作でも作品の企画書の一部を入場者プレゼントにしています。その企画書通り、本作は鈴芽と子供用の椅子(草太)とのロードムービー。企画書通りその「ロードムービー」の魅力を逃していないと思いました。

 予告を見る限り、てっきりアクションが多めの、「戸締まり」アクションアドベンチャーなのかな…と想像していましたが、見始めるとそんな感じでもなく、「戸締まりアクション」は廃墟のロケーションの違いはあれど、やや単調、言ってしまえば毎回、椅子・草太が駆け回って、鈴芽が踏ん張って扉を押さえているだけ。中盤まで映画をドライブさせるのは、そのアクションシークエンスというより、鈴芽と草太二人が出会う魅力的なキャラクターたちとのドラマ、コミカルなやり取り、そして当然、新海誠監督作ですから九州、四国、神戸、東京……各地の“風景”ですね。これらこそが映画を動かすと、企画書通り「ロードムービー」としてはストライク逃していない『すずめの戸締まり』の魅力です。

 正直、アドベンチャーみたいなものを勝手に期待していた私は、意外とのんびりと展開して最初、物語のテンポを掴めず不安になりました、肩透かしを食らった方もいらっしゃったと思います。監督が完成披露記者会見など、いろいろな所でおっしゃっている通り、『すずめの戸締まり』は、かなり『魔女の宅急便』の影響を受けたと。2016年の雑誌「EYE SCREAM」(10月号)でも監督、『魔女の宅急便』がお好きだと、影響を受けたと公言されていましたが、今回は劇中で「♪ルージュの伝言」を引用する直接的なリスペクトが見られます。

 本作、『魔女の宅急便』と色々な共通項を見出せますが、監督曰く、鈴芽が色々な人と出会い、その出会いを経て成長する様子が『魔女の宅急便』的だと、『魔女の宅急便』では主人公に優しい人だけではなく厳しい人との出会いもありましたが、本作で鈴芽が出会うのは皆、良い人、優しい人ですね。本当に心の底から鈴芽を応援する。彼らは母子家庭で一人っ子、幼い時に母親を亡くした孤独な鈴芽の擬似的な姉妹として、擬似的な母親として、鈴芽の旅をサポートする。

 彼らの存在は余りにフィクション過ぎるかもしれませんが、その美しさに僕はまず感動しました。僕が素敵だなと思った描写は、彼らが別れる時、必ず鈴芽を抱きしめるんですよね、ハグするんですよね、その時に妙に泣いてしまいまして、「鈴芽はきっと大事なことをしている」と、孤独な鈴芽の旅を優しく受け入れ肯定してくれるその優しさ。分かりやすいアクション!活劇!と言ったもの以上に、魅力的なキャラクターとの化学反応、優しい肯定が映画を動かそうとする『すずめの戸締まり』は、分かりやすいロマンス、時間軸のトリック等々が前面に出ていたザ・娯楽作的な『君の名は。』と比較すると、とても大人な、渋い魅力で勝負しようとしているなと、ここにもどこか監督の成熟さを見ました。

 と同時に、ここに行きました、この人に出会いました、戸締まりアクション、ここに行きました、この人に出会いました、ちょとだけ違う戸締まりアクション、ここに行きました、この人に出会いました、またちょっとだけ違う戸締まりアクションと、中盤まではこの一連を繰り返す物語になりますので、ロードムービーの要素に魅力を見出せなかった方は、かなり単調な映画だと感じてしまうとも思います。

 ストーリーは前作、前々作と比較してもスケールが大きいんですが、作品が押し出そうとしている魅力は渋いというのがこの『すずめの戸締まり』の奇妙な点だなと思って、見ていました。まぁ中盤を過ぎるとそんな単調さも吹き飛ぶほどの展開になるんですが。

三部作の共通点と相違点

 『君の名は。』、『天気の子』、本作『すずめの戸締まり』この三部作、テイストの違いはあれど、前述の通りの共通点……「男女の恋愛が多くの人命を危険にさらす災害と関わってくる」本作では鈴芽とどこかで出会った記憶がある青年・草太との恋愛。この恋愛に災害、天災から人命を救う行為「戸締まり」が関わってきます。他にも「日本的アニミズムファンタジー」の本作では、自然崇拝、八百万の神への崇拝をもって災厄・災害を抑えようとする「閉じ師」という概念が登場します。

 新海誠監督は榎本正樹さん著「新海誠の世界」という書籍中のインタビューで、この「日本的アニミズム」を物語要素として描くことについてこうおっしゃっています。「僕は自分の日本の観客にまず届けたいと考えています。その際に、物語の仕掛けとして有効なのは日本の風土です。(中略)観客の直感的な理解に、まっすぐな説得力を持っているのはアニミズム的な世界なんです」。これは『天気の子』の際のインタビューですが、一貫してこの三部作で土俗・民族的な設定をあくまで観客の理解のフックとして活用しました。

 「災害三部作」の共通点である設定の一方、本作『すずめの戸締まり』で他の作品と異なる点が沢山ありました。興味深かったです。単純に女性主人公ということですね。ボーイ・ミーツ・ガールではなくガール・ミーツ・ボーイ。新海誠監督作といえば、『天気の子』のように男性主人公のモノローグから始まる男性主体の語り、もしくは『君の名は。』のような男女ダブル主役ですが、本作では明確に主人公は女性の鈴芽となっている。新海誠作品お馴染みのモノローグ演出もなく。演出で言ったらRADの音楽に合わせてMV的に編集する演出もない。初期の構想では草太のポジションは女性キャラで女性同士のロードムービーになる予定だったとの事ですから、そもそも恋愛対象の男性キャラクターすらいなかった。本作の鈴芽と草太の関係も前作と比較すると、そこまで恋愛恋愛していません。かなり過去作とは異なるテイストに挑戦しようとしていた意図が見られます。

 お決まりの自己引用的要素が少ない一方(であるのは)、これは皆さん感じられたと思います「ジブリ感」ですね。監督が公言されている『魔女の宅急便』に加えて、呪いをかけられた男性と災害を起こすミミズは、『もののけ姫』のデイダラボッチをちょっと連想しました。草太のキャラクター造形もハウルかもしくはハクを垣間見えます。

 ジブリ風味の新海誠作品と言うと、絶対に思い出すのは『星を追う子ども』という作品です。この作品は、本作とは比べ物にならないほどにジブリ的要素のオマージュというより引用が多く、かなり監督のフィルモグラフィ上、異質な「新海誠監督がジブリをやってみた」な作品。言うまでもなく『星を追う子ども』も本作同様、新海誠作品には珍しく女性単体主人公の作品です。この『すずめの戸締まり』のジブリ感、監督的にはジブリへのリスペクトと挑戦とも見えますし、個人的に気になるのは『すずめの戸締まり』が『星を追う子ども』のリベンジになっているという事ですね。決して成功作とはいえない、興業的にも、監督ファン的にも成功作ではなかった『星を追う子ども』とほぼ同じ物語構造と女性主人公の物語を本作で再現し、一定の成功に導いているという点で、成熟した新海誠監督の成長を垣間見る一本でもあります。

 と同時に『星を追う子ども』の公開日は、2011年5月7日。3.11直後の公開だったことを思い返すとこのリベンジの意味も深まります。3.11直後に公開された『星を追う子ども』から11年経った本作『すずめの戸締まり』は、「震災」「災害」を描き続けてきた監督が真にそれと真正面から向き合った一本でもありました。さてここからは物語中盤以降の展開について言及しますので、絶対に本編ご鑑賞後にお聞き下さい。

!!以下は本編ご鑑賞後にお読みください!!

テーマ

 『小説 すずめの戸締まり』の新海誠監督によるあと書きにはこうあります。少し長いですが引用しましょう。「僕にとっては三十八歳の時に、東日本で震災が起きた。自分が直接被災したわけではなく、しかしそれは四十代を通じての通奏低音となった。アニメーションを作りながら、小説を書きながら、子どもを育てながら、ずっと頭にあったのはあの時感じた思いだった。(中略)アニメーション映画を作ることが、いつの間にかほとんど同じ作業になっていた。あの後も世界が書き換わってしまうような瞬間を何度か目にしてきたけれど、自分の底に流れる音は二○十一年に固着してしまったような気がしている。その音を聞きながら、僕はこの物語を書いた」。とても正直で誠実な監督の本作についての告白だなと思いました。

 新海誠監督が「震災」「災害」を意識したアニメ制作をし始めたのは、その『星を追う子ども』の次の作品『言の葉の庭』までさかのぼれると思います。『言の葉の庭』の企画書の監督の言葉を引用しましょう。「(前略)東京の風景はおそらく、数年か数十年のうちに訪れるかもしれない巨大な災害により大きく変わってしまうかもしれない。だから今この揺れる大地の上にある日常を、そこを歩く足の物語としてアニメーションに留めていきたいと思う」。

 この『言の葉の庭』での震災に対するアニメ制作の所信表明は、ご存知の通り「災害三部作」の一本目『君の名は。』にて、主人公・瀧くんが建設業界に就活をしている際のセリフとして反復されます。「東京だっていつ消えてしまうか分からないと思うんです。だから記憶の中であっても、何て言うか、人を温め続けてくれるような風景を」セリフはここで切れますが、この後に続く言葉は「記憶の中であっても、人を温め続けてくれるような風景を『作っていきたい』『作りたい』」と続くと思います。

 まさしくこの『言の葉の庭』での企画書の言葉、瀧くんの就活中の発言は、本作『すずめの戸締まり』の「震災」描写。震災によって失われた人々の、街の記憶をアニメによって再び甦らせた、真っ向から震災、3.11に向き合った監督の姿勢として再現されました。

中盤以降について

 本作『すずめの戸締まり』はまさしく「記憶の中」の「街」の風景をアニメーションとして再現していく映画です。九州から四国、神戸と、旅をして廃墟にある「後ろ戸」を閉める、戸締まりをする過程で鈴芽は廃墟になる前、賑わっていた街の記憶を目撃することとなります。

 街の記憶をアニメで甦らせる。監督は企画書でこの行為を「場所を悼む」という素敵な表現をされています。本作は過疎化、限界集落といった社会問題を背景にしながら、その悼む場所を、アニメとして再現する土地を、なんと3.11、東北まで射程を広げます。これには本当に驚きました。『君の名は。』のようなファンタジーSFでフィルターをかけた「3.11」ではありませんでした。現実の「3.11」そのもので。鈴芽は草太を救うため、故郷である東北を訪れる。鈴芽は震災孤児だと判明する。この『すずめの戸締まり』は何と3.11の被災地を最終目的地とするロードムービーでした。

 鈴芽の乗るオンボロのオープンカーが道路ですれ違うのは「汚染土壌」「除去土壌」と書かれた大型トラック。オープンカーから見える風景は廃屋、廃墟となった住宅街、商店街。ここまで直接的に新海誠監督は3.11の被災地を描きました。僕も直接被災した訳ではありませんので、こういった形で被災地がアニメになる被災者の方々の思いは到底想像できませんが、ただただ驚きました。中盤までのロードムービーで車の窓から見えていた風景はとても綺麗な海、建物、四国の街、それが中盤から一変します。僕は物凄く、この中盤から見せられる景色、風景は酒井耕、濱口竜介共同監督の東北と被災者の証言を映したドキュメンタリー「東北記録映画三部作」を思い出しました。この三部作も被災者の証言と対話の途中に、監督が運転する車の窓から見た被災地の生々しい映像が挿入されるドキュメンタリーですが、そんな「東北記録映画三部作」と比較できるほどの生々しさですよ。凄いことをやっているなと。

 さらにアニメで表現された東北の背景を観ていてさらに驚くのは、あるシーン。オープンカーの運転手である草太の親友の芹澤が東北の風景を見て、こんな事を思わず呟く「このへんってこんなに綺麗な場所だったんだな?」と、正直、観客もやはり「新海タッチ」ですから、いくら廃墟だろうと、どうしてもアニメ表現としては「綺麗」と思ってしまう風景ではあります。そんな観客の何気ない感情を代弁するかのような「綺麗な場所だったんだな?」。その綺麗な場所の片隅には原発らしきものも映っています。その芹澤の呟きに対して鈴芽は「えっ」と、ハッキリと嫌悪感を露わにします。震災孤児である鈴芽はこの「綺麗」に対して、決して綺麗ではない黒色のクレヨンで塗られた絵日記の、その黒を思い出す。

 この一連の描写において、今までの新海誠監督の特徴である「風景」の意味が逆転します。「新海タッチ」と呼ばれてきた、圧倒的に美しい背景、キャラクターと背後の景色が融合するアニメーション、綺麗と言わない人はいないその美術とアニメ表現、それを真正面から否定します。「そんな綺麗なものじゃない」「被災者の気持ちを忘れていないか」「綺麗なアニメの裏には悲惨な現実がある」そう鈴芽の嫌悪感が観客にも向けられるような、このシークエンスには背筋が凍るような思いを覚えました。

ラストについて

 「災害三部作」1作目『君の名は。』は奇遇にも同じく3.11をフィクションに落とし込んだ『シン・ゴジラ』と同年に公開され、その内容はSF的能力によって災害の被害を少なくする物語でした。しかしこの物語には震災を恋愛エンタメとして消費している、震災を無かったことにしている当然、批判も多いことを記憶しています。

 2作目『天気の子』。個人的には新海誠監督最高傑作と呼びたい『天気の子』は確かに直接的に地球温暖化、それに伴う異常気象という災害を描きました。併せて「雨の降り止まない2021年の東京」はコロナ禍によって不要不急の外出を控えなければいけないほとんど無人の東京の街を予言していたかのようで個人的に痛烈な、鋭いビジュアルイメージでした。コロナウイルスは決して平等ではなく、コロナ禍において犠牲者となったのは『天気の子』の人柱となった陽菜のような若者たちというのも印象深かった。

 しかし『天気の子』で描かれる災害に対して、新海誠監督の言葉「異常気象が常態化している世界で生きていく世代には、それを軽やかに乗り越えて向こう側に行って欲しい。(中略)力強く走り抜けて行ってほしいという思いを伝えたかったんです。」その言葉通り、東京を救うより目の前の愛する人を選ぶ、災害を受け入れる、かなり反社会的な一本で、この主人公の選択に困惑した方もいらっしゃると思います。

 前二作で批判を受け、直接的な描写を避けてきた監督が、さあ本作、3.11震災孤児である鈴芽を主人公にした本作『すずめの戸締まり』において、ようやく監督は震災そのものと向き合う挑戦的な、こんな大規模公開のエンタメ作品でやってしまったという…これは驚きと同時に問題作でしょう。ついに『君の名は。』から6年、いや『星を追う子ども』から、3.11から11年、震災と直接向き合ってみせたよと。震災孤児の心の傷を無かった事にするのではなく、正面から描こうとしたと。

 これは本当に描いて良かったのでしょうか。前述の通り、『すずめの戸締まり』はまるでリベンジかのように、『星を追う子ども』と類似の物語構造を取ります。父親不在の家庭で育った女性主人公の、「行ってきます」から「ただいま」までを描く「行きて帰りし物語」。恋した男性のために「あの世」常世に行く、これは『君の名は。』の「隠り世(かくりよ)」、『天気の子』の「彼岸」も同様でしたね。3.11から、『星を追う子ども』から11年の時を経て『すずめの戸締まり』でリベンジを果たしたと、僕は思います。

 「記憶の中であっても、人を温め続けてくれるような風景を『作っていきたい』『作りたい』」。最もパワフルに、この『すずめの戸締まり』が記憶の中の風景を再現するのは、鈴芽が訪れた常世で、3.11の被災者の方々の何気ない日常がアニメとして再現される様子でした。「おはよう」「おはよう」「いただきます」「行ってらっしゃい」「行ってきます」「行ってきます」「行ってきます」このおそらく実写では表現し得ない生々しさでしょう、アニメでしか、また「新海タッチ」風景にこだわり続けてきた新海誠監督のそのこだわりが最高密度の感動を呼ぶ「被災地の記憶の再現」これには今まで観ていた違和感も何もかも吹き飛びました。このパワーはちょっと悔しいですが、肯定してしまいます。

 個人的に本作は「戸締まり」という一見、余りポジティブなニュアンスのない言葉、「締める」「閉ざす」「戸締まり」の意味合いが逆転していくのが好きでした。後ろ戸を閉じる。家の鍵を締める。自転車の鍵を開ける。劇中、何度も繰り返される鍵のアクションですが、扉を閉める、「戸締まり」をするということは新しい世界へ、新しい外の世界へと足を一歩踏み進メルために必要なポジティブな行為なのだと、震災孤児は己の心の傷と向き合い、「戸締まり」戸を締めることで「行ってきます」新しい世界へ進むことができる。己の傷と向き合いながら、それでも世界を生きていく。

 『すずめの戸締まり』これにて監督による災害三部作は完結となりました。さぁ震災と向き合った11年間、ここから新海監督は次に何を描くのか、本作で通奏低音、テーマに一旦の「戸締まり」をした監督がどこに向かうのか、本作を経て次回作が本当に楽しみな監督となりました。今週の新作『すずめの戸締まり』でございました。

【作品情報】
すずめの戸締まり
2022年11月11日(金)公開
©2022「すずめの戸締まり」製作委員会


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茶一郎
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