殺人の非人間性や差別意識の継承を描きつつ、エンタメとしても十分楽しめる 『聖地には蜘蛛が巣を張る』

映画スクエア

著者名:飯塚 克味

殺人の非人間性や差別意識の継承を描きつつ、エンタメとしても十分楽しめる 『聖地には蜘蛛が巣を張る』

飯塚克味のホラー道 第44回 『聖地には蜘蛛が巣を張る』

 ホラー映画をたくさん観ているせいか、映画で怖いなと思うことは滅多にないのだが、本作では久々に心の底からぞっとする感覚を味わうことができた。取り扱われているのは、2000年~2001年にイランの聖地マシュハドで起きた娼婦連続殺人事件。スパイダー・キラーと名付けられた殺人鬼が実に16人もの娼婦を殺した実際の事件だ。映画は子どもを残して、夜の仕事に出かける母親の姿から始まる。娼婦として生計を立てている彼女の辛い立場が画面越し伝わってくるのだが、そんな女性を毒牙にかける残酷なシーンがオープニングだ。

 その後、意外なほどあっさりと犯人の姿が明かされ、それと同時に犯人を追う女性ジャーナリスト、ラヒミの姿が並行して描かれる。どこにでもいる普通の男が、なぜ娼婦を次々と殺害するのか。生々しい殺戮描写の連続は、まるでイタリアのジャッロ映画のようで、断末魔の叫びが嫌でも耳に残る。一方、取材を進めようとするラヒミに立ちはだかるのは、イラン社会における男性優位の状況だ。ホテルに泊まろうとすれば女性だけなのを理由に宿泊を拒否され、協力を依頼した警察署長にはセクハラまがいの迫り方をされる。また殺人が横行しているのに、街角に立たざるを得ない娼婦たちの事情も丁寧に描かれていく。犯人は映画の半ばで、意外なほどあっさりと逮捕されるのだが、怖いのは実は後半。娼婦などは殺されて当然という、イラン社会にはびこる同調圧力ともいえる物の考え方が犯人の裁判を通じて、観る者に突きつけられる。

 本作を演出したのは『ボーダー 二つの世界』(2018)でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリを受賞したアリ・アッバシ。『ボーダー 二つの世界』では、やや過剰な形で提示された差別表現だが、今回は実にストレート。誰が見ても理解できるし、語り口も非常に分かりやすい表現になっている。アリ監督自身、イラン生まれでもあり、事件当時はイランで暮らしていた。女性ジャーナリストのラヒミを演じたのはザーラ・アミール・エブラヒミ。2000年初期まではイランを代表するテレビスターだったが、私的な動画が流出したことで、パリに拠点を移し、映画製作を続けている人物だ。本作ではアシスタント・プロデューサーとキャスティングまで兼務している。

 もちろん、このような映画にイラン国内で撮影の許可が下りるはずもなく、撮影はヨルダンのアンマンで行われた。だが、映画のマジックが見事に発揮され、2000年当時のイランをリアルに作り出している。

 本作が素晴らしいのは、殺人シーンはもとより、遺体をカーペットにくるめて始末する場面や警察の捜査で発見された遺体の描写など、逃げない表現が多いことだ。そのことで、事件がどんなに残忍で、非人間的か、そしてそれを擁護する人々がどんなに醜いかを徹底してあぶり出しているのである。

 だがそうした考えをこの世から打ち消すことは非常に難しいのも実情だ。チャドウィック・ボーズマンが主演した作品で『42 ~世界を変えた男~』(2013)という野球映画があったが、その中で、主人公の黒人選手を罵倒する父親の姿を見続けていた少年が、突然、父親に倣って罵倒し始めるシーンがある。普段は優しく、家族思いの父親の影響は、いとも簡単に家族に伝染し、差別の考え方は継続されていく。最近でこそ、ヒジャブを巡って女性たちが立ち上がっているイラン国内だが、永年、男性優位の思想を幼い頃から刷り込まれ、正しい価値観として男女共に広まったものを覆すのは容易ではない。

 色々と重たいことを語ってしまったが、深く物事を考えたくないという人にも、この映画はエンタメとして十分楽しんでもらえるはずだ。猟奇殺人と裁判劇。一本の映画で二本分のボリュームを観ることができるので、非常にお得ともいうべき構成になっている。是非とも、映画館で震撼してもらいたい。

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殺人の非人間性や差別意識の継承を描きつつ、エンタメとしても十分楽しめる 『聖地には蜘蛛が巣を張る』

飯塚克味(いいづかかつみ)
番組ディレクター・映画&DVDライター
1985年、大学1年生の時に出会った東京国際ファンタスティック映画祭に感化され、2回目からは記録ビデオスタッフとして映画祭に参加。その後、ドキュメンタリー制作会社勤務などを経て、現在はWOWOWの『最新映画情報 週刊Hollywood Express』(毎週土曜日放送)の演出を担当する。またホームシアター愛好家でもあり、映画ソフトの紹介記事も多数執筆。『週刊SPA!』ではDVDの特典紹介を担当していた。現在は『DVD&動画配信でーた』に毎月執筆中。TBSラジオの『アフター6ジャンクション』にも不定期で出演し、お勧めの映像ソフトの紹介をしている。


【作品情報】
聖地には蜘蛛が巣を張る
2023年4月14日(金) 新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、TOHOシネマズシャンテ他全国順次公開
配給:ギャガ
©Profile Pictures / One Two Films

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