映画、テレビ、CMなどで活躍して大人気を集めるものの、急性骨髄性白血病を患い、肺炎によって27歳の若さで亡くなった夏目雅子。死後も生前のスチールを使用したCMが話題を呼び、評伝ドラマが作られるなど衰えない人気を誇った夏目雅子が出演した映画を全作品紹介します(ナレーションのみの作品は除いています)。
東京で生まれ、裕福な家庭に育った夏目雅子。ヴィットリオ・デ・シーカ監督作「ひまわり」のソフィア・ローレンに憧れて女優を目指したという彼女は、東京女学館短期大学在学中にドラマにヒロイン役に選ばれ、カネボウ化粧品のテレビCMで注目を集めました。
その後、本宮ひろ志の漫画を原作とした「俺の空」(1977)で映画初出演。「鬼龍院花子の生涯」(1982)では日本アカデミー賞主演女優賞を受賞するなど活躍を続けましたが、27歳の若さで惜しまれながらも亡くなりました。
本宮ひろ志の同名漫画を映画化した作品です。掟に従って人生の伴侶を見つける旅に出る、財閥の後継者である安田一平を主人公とした作品です。ハンサムな二枚目俳優として活躍した星正人が安田一平を演じています。
安田財閥の後継者となるために、花嫁捜しの旅に出た一平。叔父の正行とその息子の統一郎は一平を後継者の座から引き摺り下ろそうと目論みます。旅を続けるなかで、一平はさまざまな女性たちと出会います。
夏目雅子は端役で出演しています。
菅原文太演ずるトラック運転手、星桃次郎を主人公とした大ヒット映画「トラック野郎」シリーズの6作目です。任侠映画の「緋牡丹博徒」シリーズなどを手掛けた鈴木則文が監督を努めました。
桃次郎は熊本で女子大生の雅子に出会います。美しい雅子に心を奪われた桃次郎ですが、彼女には結婚の約束をした恋人、村瀬がいました。不運が重なり海外へ旅立つこととなってしまった村瀬。飛行機に乗ろうとする村瀬がいる鹿児島空港へ、桃次郎は雅子を乗せて愛車の一番星号を走らせます。
夏目雅子は剣道三段の腕前を持つマドンナの小早川雅子役に抜擢されました。
1904年に始まった日露戦争。その激戦地である中国・旅順の丘陵、二百三高地での攻防戦を描いた戦争映画です。監督は劇場版アニメ「宇宙戦艦ヤマト」(1977)の監督を務めた舛田利雄、脚本は「仁義なき戦い」シリーズの笠原和夫が手掛け、乃木希典役を仲代達矢が演じています。
第4回日本アカデミー賞助演男優賞に丹波哲郎、第23回ブルーリボン賞の主演男優賞に仲代達矢、助演男優賞に丹波哲郎が選ばれました。第35回毎日映画コンクールの日本映画優秀賞も受賞しています。配給収入は約18億円で1980年公開作の邦画で3位となりました。
反戦を訴える結社、平民社に属する若い女性の松尾佐知役を夏目雅子が演じています。
当時すでに舞台演出家として名を馳せていた蜷川幸雄の映画監督2作目。元禄時代の事件を元にした日本の古典ホラー「四谷怪談」を映画化したものです。民谷伊右衛門役を萩原健一、いわ役を関根恵子が演じています。
江戸の町に暮らす浪人者の民谷伊右衛門と妻のいわ。伊右衛門はいわの父に過去の悪行を暴かれたことから、義父を殺害します。さらに伊右衛門は裕福な家柄の娘うめに惚れられたことから、妻のいわに毒を飲ませ、うめの家に婿入りすることを目論みます。
夏目雅子はいわの妹、そで役を演じています。
高知県出身の作家、宮尾登美子の同名小説を映画化。五社英雄が監督を務めました。土佐の侠客、鬼政と任侠の世界で生きる女たちの姿を鮮烈に描き、夏目雅子の名台詞「なめたらいかんぜよ」は一世を風靡しました。
鬼政の名で知られた侠客、鬼龍院政五郎は養女として松恵を迎え入れます。松恵は政五郎の身の回りの世話をし、正妻や愛人、実の娘と生活を共にしながら成長します。政五郎は高校教師の田辺の男気に惚れ込み、実の娘花子と結婚させようとしますが、田辺と松恵は心惹かれ合うようになっていました。
配給収入は約11億円で1982年公開作の6位となりました。
夏目雅子は鬼龍院家の盛衰の歴史を見届ける養女の松恵役で渾身の演技を見せ、第25回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞しました。
第二次世界大戦の時代に生きた人々を描いた戦争映画の大作です。第一部「シンガポールへの道」と第二部「愛は波濤をこえて」の二部構成になっています。監督は舛田利雄、脚本は笠原和夫で、「二百三高地」(1980)と「日本海大海戦 海ゆかば」(1983)と合わせて同じ監督・脚本による三部作の一つです。
日中戦争が泥沼化するなか、陸軍大臣の東條英機が首相に就任。当初、昭和天皇の意向を受け、アメリカとの戦争を回避しようとしていた東條でしたが強硬派に押され、真珠湾攻撃を機に対米戦争が開始されました。政府、軍人、民間人、さまざまな立場の人々が戦争に翻弄されていく様子が描かれます。
配給収入は14億円で1982年公開作の3位となりました。
夏目雅子は神風特別攻撃隊に志願する江上孝の恋人柏木京子と、江上がフィリピンで出会う京子と面影の似たマリアの二役を演じました。
東西冷戦の対立が激化して引き起こされる、近未来の戦争を描いたSFアニメ映画です。劇場版「宇宙戦艦ヤマト」の舛田利雄と、テレビアニメの演出を手がけてきた勝間田具治が共同で監督を務めました。製作中、好戦的な内容ではないかとの批判を受け、戦争映画の在り方について様々な議論が交わされました。主人公三雲渡の声を北大路欣也が演じています。
アメリカ合衆国とソビエト連邦の緊張関係が高まる198X年。アメリカでは核ミサイルを迎撃するための有人戦闘衛星が開発されました。開発の成功に喜ぶバート・ゲイン博士と科学者の三雲渡でしたが、ゲイン博士はソ連に誘拐されてしまいます。核の危機から地球を救うため、三雲は戦闘衛星スペース・レンジャーに乗り込みます。
夏目雅子は、戦闘衛星に乗った三雲を救出しようとするゲイン博士の妹、ローラの声を演じています。
原作は第87回直木賞受賞作の村松友視の同名小説。昭和の東京を舞台に、骨董屋を営む中年の独身男性とその店へ住み着いた娘、近所の人々などを描いた群像劇です。シリーズ化して1985年に「時代屋の女房2」が公開されましたが、夏目雅子は闘病中のためヒロインを降り、キャストは一新されました。
「時代屋」という名の骨董品店を経営する35歳の安さんのもとに、美しいけれどもどこか不思議な雰囲気のある真弓という娘が訪れます。店に住みついた真弓に対し、安さんはあえて真弓の素性を問いただすことはしませんでした。失踪癖のある真弓はふらりといなくなっては、何事もなかったかのように戻ってくる、そんな日々が繰り返されます。
夏目雅子はヒロインの真弓と、結婚のため実家のある東北へ帰る美郷の二役を演じています。
戸川猪佐武の政治小説を映画化した作品です。監督は「日本沈没」(1973)、「八甲田山」(1977)の森谷司郎が務めています。終戦後、GHQ占領下で内閣総理大臣に就任した吉田茂を中心に、政治の世界に生きる男たちの人間ドラマを描いています。森繁久彌が吉田茂役を演じました。
1949年の総選挙で圧勝した民主自由党の吉田派は新しい議員を多数当選させ、吉田学校と呼ばれるようになります。第3次吉田内閣が成立し、平和条約草案を作成するため極秘のプロジェクトチームが組織されます。吉田学校のメンバーは、平和条約の締結を目指してさまざまな苦難を乗り越えていきます。
吉田茂の娘で、麻生太賀吉の妻となった麻生和子役を夏目雅子が演じました。
無人の南極に一年間取り残された南極観測越冬隊のそり犬、タロ・ジロの実話をもとにした作品です。南極観測隊員の犬係、潮田暁役を高倉健、越智健二郎役を渡瀬恒彦が演じています。映画は大ヒットし、その後「子猫物語」(1986)、「ハチ公物語」(1987)などの動物もの映画が多く作られました。
1958年2月、南極昭和基地で第一次越冬隊は第二次越冬隊と交代するため昭和基地を去りましたが、悪天候のため第二次越冬は中止されてしまいます。南極に置き去りにされた15匹のそり犬は極限の自然環境を懸命に生き延びようとします。
配給収入は約59億円で、公開当時における日本映画史上最高額を記録しました。第38回毎日映画コンクールの日本映画ファン賞を受賞しています。
夏目雅子は越智の婚約者北沢慶子役で出演。南極からの帰国後、残してきた犬たちのことを思い苦悩する越智を支える役を演じました。
原作は吉村昭の同名小説。大間のマグロ漁師とその娘、娘の婚約者でマグロ漁師を目指す青年の三者の愛憎と生き様を描いた人間ドラマです。監督は「セーラー服と機関銃」(1981)の相米慎二が務め、北の海に生きる漁師、小浜房次郎を緒形拳が演じています。
本州最北端にある下北半島の大間。マグロ漁に命をかける頑固な漁師の小浜房次郎は一人娘のトキ子を男手一つで育てます。トキ子は喫茶店を経営する青年俊一と結婚の約束をし、父の房次郎に俊一を紹介します。俊一は後を継いで漁師になることを申し出ますが、房次郎はなかなか俊一を受け入れようとしません。
夏目雅子は房次郎の娘のトキ子役を演じています。
阿久悠の自伝的長編小説を映画化した作品です。終戦直後の淡路島で、少年野球を通して成長していく子供たちと女性教師との交流をノスタルジックに描いています。監督は「少年時代」(1990)の篠田正浩が務めています。
戦争が終わった直後の1945年9月、淡路島の国民学校でも戦時中の軍国教育から民主主義教育への転換が図られました。世の中の急激な変化を感じ取り、戸惑いを覚える子供たち。初等科の少年たちを担任する駒子先生は子供達に野球を教えることにしました。
第8回日本アカデミー賞の撮影賞、第27回ブルーリボン賞の作品賞を受賞しました。
夏目雅子は国民学校で少年たちを教える女性教師の中井駒子役を演じています。映画公開の1年後、1985年に急性骨髄性白血病の治療中に亡くなり、この作品が夏目雅子の最後の映画出演作となりました。